「わざわざ」には冒険心が詰まっている

小さい子供たち、目の前に水たまりがあったら、「わざわざ」そこをビシャビシャ歩いていくでしょう。また、その水を飲んでいるかもしれません。チアはマンホールに溜まる水を飲んでいました。

先日のアドベンチャーでも霜柱を見つけた生徒は、わざわざそこを歩いていました。もちろん、靴は泥だけらけになります。

「わざわざそんな所通らなくても」

田んぼに氷が張っていたら、そこを歩いてみたい。

歩いて割られていない場所があれば、そこまで行って歩いて割りたい。

届かない場所であれば、石を投げて、氷を割りたい。

「わざわざそんな時期に行かなくても」

「わざわざそんなやり方でなくても」

親からみて、それより安全な時期があるのを知っている。

親からみて、それより、スマートなやり方があるのを知っている。

でも、

「その時期だから行ってみたい」

「そのやり方でやってみたい」

「わざわざ」にはたくさんの冒険心が詰まっています。

大変になるから、余計にその大変さでやってみたい。

「わざわざ…しなくても」と思ったら、きっと親の冒険心が薄まってしまっているかもしれません。

「わざわざ…しなくても」と言って他のより安全な提案を子供に言い出したら、親の快適ゾーンが狭まっているかもしれません。

私たちは、水溜まりがあったらわざわざそこを歩くでしょうか。

私たちは、寄り道をして、田んぼの氷を割るでしょうか。

したって良いのです!

子供たちはそもそも冒険心が満載です。子供たちの冒険心はプライスレス。奪うより、応援していきましょう。

大切なのは、より大きな冒険に子供たちが出られるように経験を積んでいるのであれば、より大きな冒険に出せるように親も成長していくこと。

投稿者: hirosopherfp

アメリカのギフティッド教育を専門とする私立中学校で2002- 2012の10年間教鞭をとった後、2012年、Feelosopher's Path教育コミュニティーを設立。「思春期を黄金期にする!」と生徒たちの成長に没頭してきた教育家が、子育てに奮闘しながら、教育コミュニティーを通して沢山のご家族と子育てを満喫しています。趣味は登山とキャンプ。最近はロッククライミングも始めました。2児のパパ。 今瀬博 Feelospher's Path 共同設立者

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