子育てを豊かにする教育のお話:「心がやる気になるのを待っていてはいけない」

「心が完璧に整うのを待っていたら、いつまでたっても何も始められない」

2012年、帰国まもない頃、ギフティッドのカンファレンスを開催したいと相談したら、

とにかく枠を聞かせられました。とにかく限界を聞かせられました。

「日本ではね…」と、あるべき姿を見せられます。

不安はたくさんありました。

でも、心の中で何度言ったことでしょう。

「それは、あなたの枠であって私の枠ではない」

「それは、あなたの限界であって私の限界ではない」

「日本ではね..」というのは、私には通用しない。

でも、最後は、相談相手に感謝。自分のために時間をとってくれたこと。

そして、わけのわからない話を聞いてくれたことにとっても感謝です。

「心がやる気になるのを待っていてはいけない」

行動せずにいると、疑念や恐怖が生まれる。行動すれば自信と勇気が生まれる。恐怖を克服したいなら、家でじっと考えるだけではいけない。外へ出て忙しく過ごさなくてはならない。

デール カーネギー

やみくもに相談すれば良いというわけではないということです。

「自分は思考ではなく行動だ」

「ただ踏み出そう。」

まだまだ、僕らは成長過程中です!

ギフティッド教育:ギフティッドと実行遂行能力

思春期は衝動的、感情的、インテンス、センシティブなど多感期な時期ですが、ギフティッドと見極められる子供たちは、これに拍車をかけ、「超」がいくつもつきます。

「超衝動的、超感情的、超インテンス、超センシティブ」

この時期に膝を突き合わせて、肩を並べて、話せる仲間たちがいるというのは、ギフティッドにとって、何よりも尊いものです。そして、この大変な時期にギフティッドの生徒たちが必要なものがあります。

それは、エグゼクティブファンクションスキルギフティッドと(実行遂行能力)を磨いていくことです。

私が教えていたギフティッドの中学校には、学習面ではあまり挑まれてこなかったギフティッドが入学してきていました。

何せ、小学校時代はほとんど挑まれてこないわけで、そして、勉強したことがない生徒たち、また一夜漬けの生徒たちなんですから、エグゼクティブファンクションスキル(実行遂行能力)なんて備わっていませんでした。

そして、年齢から考えてもまだまだ成長過程中なわけですから。

私たちが心にいつも留めておかなければならないのは、次の2点です。

①「まだ、備わっていない」ということと、

②「エグゼクティブファンクションスキルを育むのには、最高な時期」だということです。

エグゼクティブファンクションスキルってなんぞやというと、簡単にいうと、
私たちが手を差し伸べてしまうところです。

私たちがなかなか待てないところです。

私たちが子供たちの為にと思ってしてしまうところです。私たちが先回りしてしまうところです。

「もっと効率よくできないのかな」

「私だったら、今、もう始めているんだけどな」

「なんでも3日坊主」

「計画だけは立てるんだけどねぇ」

「段取りが悪いなあ」

「一夜漬けだったら、そんな結果だろうな」

と思う事柄です。

この時期、必要なのは、正しいやり方、効率良いやり方ではありません。必要なのは、試行錯誤して、自分なりのやり方です。子供たちが、好きなことに取り組んでいるのであれば、一歩下がって、エグゼクティブファンクションは育まれているか考えてみてください。

多くのギフティッドの子供は高度なことができていても、このエグゼクティブファンクションスキルは備わっていません。

大きな壁になりえるギフティッドの特徴&考え
 – 理解しているのであれば、なぜ実践する必要があるのか。
– 好き嫌いが明確。だから宿題は得意な好きな科目だけ。
– 完璧主義なところがあれば、できないような事には取り組まない。
– チャレンジしていないから、失敗もないという考え。
– 自分への期待が高いから、できないことへ厳しく自分を批判する。

「努力する」ということは自分ができないから。だから、やりたくない。それが意味することは、努力する自分を受け入れたくない。頑張る=自尊心を傷つける行為

今まで比較的なんでも簡単に物事を習得してきた。

時間がかかるものは、「自分が生まれ持ってできないから」という Fixedマインド(固定思考)があるかもしれない。

エグゼクティブファンクションスキル

1. 計画したり、予定を立てる

2. タスクを始め、それに集中し続ける

3. 感情や気持ちを制御する

ようするに 

「目的を達成するまでの計画」 

「段取り」 

「計画から遂行するまでのステップ」

「達成するまで感情に目を向ける」

 「気持ちの切り替え- 気持ちに圧倒されるのではなく、圧倒するエネルギーに変える」

もし、学校で挑まれていないのであれば、心配することは「学校で何を学んでいるか。学んでいないか」ではなく、「何が育まれていないか」です。

しかし、このエグゼクティブファンクションスキルは、学校だけで学ぶものではないので、それが一番の良いニュースでしょう。

習い事、家族行事、生徒には、どんな短期なゴール、長期なゴールはどんなものがありますか。また、それに向かって計画がありますか?それは、可視化できていますか。

本人も周りも、目的が見え、過程が見え、進行状況が見えていますか。
より準備が必要な旅に出ましょう。
より準備が必要な冒険にでましょう。

誰もがわかる可視化したものを作成していますか。ボードなど良いです。家のみんなが見えるところに作ってください。生徒たちは頭の中でわかっているものを、書くこと、作ることで、より理解し、そして、タイムラインもわかると、ステップが明確になります。

ギフティッドの子供たちに挑みましょう!

子育てを豊かにする教育のお話:「山を動かすことはできない。動かすのは自分の気持ち」感情知性を発揮する瞬間

「好き嫌いが激しく、やりたくないことはやりたくないタイプなんです。」これは縛ってしまう言葉です。未来の機会を狭める言葉です。

「チャレンジだからやってみる。」

「やってみたことがないから、やってみる。」

「一緒にやってみる。」

もし、山に圧倒されているのであれば、山に圧倒されているわけではなく、山を見て生じた「自分の気持ち」に圧倒されています。

目の前のある山をどうすることもできない。

山は動きません。ゴツゴツした岩肌に圧倒されているわけではないです。

それを見て、生じた自分の気持ちに圧倒されています。

長いコースタイムに圧倒されているわけではないです。

それを考えて、生じた自分の気持ちに圧倒されています。

「山を動かすことはできない。動かすのは自分の気持ち」

Hirosopher

山は動かすことはできない。目の前にそびえ立つのみ。しかし、生じた気持ちを動かすことはできます。感情知性です。

実は、「山」のように見える「機会」は身近にあります。

そして、その圧倒されている外的要素は変えることはできません。そして、動かすことができないものを動かそうとして、「windows of opportunity – 機会の窓」が閉まってしまうことでしょう。そしてその機会の窓は2度開かないかもしれません。

FPのココロミルとは、

「ココロミルとは、物事を試して、そこで感じた気持ちを知る。心を見る。その物事を知るわけではなく、自分のことを知ること。」

FP哲学

FPの生徒たちは、「ココロミル」ことにコミットしています。

どんな山、そして「山」も乗り越える彼らがいます。

そして、その横には同じように頑張っている仲間たちがいます。

Feelosopher’s Pathの生徒たちは山を動かそうとはしません。

自分の心を動かし、山の頂きに仲間たちと立ちます。

GO FEELOSOPHERS!

ギフティッド教育:ギフティッドの子供たちはエクストラに面倒臭い!それは尻尾を出しているかも!

「ギフティッドと見極められる子どもたちと絡むのは面倒臭い!と思うかもしれない。

「ギフティッドと見極められる子どもたちと絡むのは面倒臭い!」と思うかもしれない。

でも、「至福の時でしょう❤️」ギフティッドの子が目の前に立っています。
あなたは質問ぜめに合うかもしれません。

「なんで?」「どうして?」「もし、こうなったらどうなるの?」

仕組みに興味がある子が多いです。

知的好奇心のみならず、素晴らしい記憶力もあるので
つじつまが合わないと、あなたがする事に「なんで?」と疑問に思うかもしれない。

多くは哲学的な質問かもしれない。答えのない質問も多い。

あなたは常にチャレンジされています。

もう一度言います。

あなたは常にチャレンジされています。

知っているかし中ではなく、あなたの生き方。

乳歯が取れた時、枕の下に置いておくと、次の日の朝、歯の妖精は25セントコインに交換してくれています。そんな歯の妖精のお話をご存知ですか。

子供の歯が抜けたので、「歯の妖精がくるから、抜けた歯を枕の下に置いておきましょう」というと、

子供は「なぜ、それをしなくてならないの?」と嫌な顔をします。

あなたは子供の質問に答えられますか。

あなたはどんな理由を想像していますか。妖精と言っても、どんな妖精を子供は想像しているのでしょうか。

そして、子供はあなたに言います。

「乳歯は自分のもの。全部集めて、ネックレスにして、20才になった自分にプレゼントする。」

独創的な思考に戸惑うかもしれません。

ほらほら!尻尾を出してますよ!

ギフティッド教育:ギフティッドネスと旨味の奇妙な関係 前半

ギフティッドネスとは何でしょうか。

ギフティッドと見極められる子どもたちは誰なのでしょうか。

また、ギフティッド教育とは何でしょうか。

「うま味」という言葉は誰もが聞いたことがあるでしょう。

私たち日本人にとっては何百年も慣れ親しでいるものであります。

1908年に、池田博士によってうま味が発見されました。

甘味、酸味、塩味、苦味の4つに加え、この5つ目の「うま味」が独立した味として追加されました。

しかし、当初、海外の人は懐疑的だったらしいのです。

それは、うま味は独立した味ではなく、他の4つの味が混ざったものだと考えられていたからです。

しかし、最近になって、英語でもUMAMIとして、うま味の存在が認められてきています。日本において、出汁なしには和食文化は成立しない「うま味」でさえも、まだまだ「うま味=おいしさ」など、勘違いされているのも事実であります。

ギフティッドは旨味だ。

今瀬博

うま味が存在するのと同じで、ギフティッドと見極められる子どもたちは世界中に存在しています。

もちろん日本にもいます。アメリカにおいては約6%の公立学校に通っている生徒がなんらかのギフティッド教育プログラムで挑まれています。

ギフティッドは教育用語です。「ギフティッド」でなくても良いのです。名前はどうであれ、ギフティッドと見極められる子どもたちは存在します。大切なのは、そのギフティッドの定義を知ってもどうしようもありません。ギフティッドという教育ラベルの意味、そして、最終的にこの教育ラベルをどうしていくか。

海外の人がうま味が他の味と混ざったものだと懐疑的だったように、日本人にとってギフティッドは懐疑的であり、誤った情報で、ギフティッドを理解しているケースがあります。

例えば

「子どもはみんなギフティッドでしょ」

「ギフティッドは天才児」

「ギフティッドはIQが高い」

「ギフティッドはIQの凸凹がある」

「ギフティッドは才能がある」などです。

ギフティッドネスはIQや才能だけでは説明することができません。

それ以上のものです。

そう考えると、「ギフティッドネスはうま味だ」こんな考えが思い浮かびました。

色々な面で、「ギフティッドネスはうま味」という言葉で説明ができます。

「ギフティッドネスの概念がない日本にギフティッド教育を伝えるには?」は「うま味という概念がない国にダシの食文化を伝えるには?」と似ているのではないか。

そう考えると、出汁文化がない食文化の国にダシの素晴らしさ。

そして、うま味をどう伝えたら良いのか。うま味の相乗効果はどうやったら伝わるのか。

食べ物を発酵させない食文化で発酵食品である鰹節の素晴らしさをどう伝えたら良いのだろう。ちなみに世界での出汁文化はフランス、中国、そして日本があります。

出汁やうま味の言葉をネットで調べていると出汁の教室に参加された方の書いたブログを見つました。

そこで、鰹節問屋タイコウの稲葉さんのことを知りました。

「プロ中のプロ」と稲葉さんは紹介されています。

プロ中のプロっていったら、とんでもないプロです。

紹介のウェブページでは、稲葉さんが鰹節を説明している言葉が抜粋されているが、その言葉が人間味に溢れています。

プロでも、情熱を失っている人たちはいます。これは悲しいことですが、現実です。

しかし、稲葉さんはプロ中のプロだけでなく、情熱を持っているのがわかります。

稲葉さんから出汁とうま味のことを教わりたいと思いました。


「会いたい!」


幸運なことにも数日後に、愛知県岡崎市でに出汁の教室をするらしい。

その教室の名前は

「世界一美味しい!!だしとり教室」

次の日の朝、出発した。木曽駒ケ岳へ!

寄り道は人生を豊かにする

今瀬博

 私は自分の言葉を信じで、木曽駒ケ岳へ。

ちゃっちゃと登頂し、愛知県の岡崎市に向かいました。


いのちをつなぐ食育cafe「Evelina Mamma」に到着すると、すでに稲葉さんがいます。

神々しいです。照明のせいもあるかもしれないが、色々な意味で光光しい。

もうすでに圧倒されてしまいました。

私は以前、アメリカ人の友人に「真の男だけがピンクのシャツを着る」ということを聞いたことがあります。

稲葉さんはプロ中のプロだけでなく、真の男なのでしょう。(鰹節色のシャツにも見えてきます)

「結論、出汁は簡単。難しくない。」

結論、出汁は簡単。難しくない

タイコウの稲葉さん


教室が始まって5分。稲葉さんは「結論、出汁は簡単。難しくない。」と話した。その時、私もギフティッドについて「結論からいうと」という文から始めるとしたら、なんて言うのだろうかと考えながら、稲葉さんの話を聞いていた。

稲葉さんが話してくれることは鰹節について知らない私にとっても意外なことばかりだった。

準備してくれたハンドアウトには以下のように書かれている。

「鰹節のうま味の主役は、イノシン酸。この成分は生きている鰹にはありません。」

どういうこと?前のめりになる。

「包丁の入れ方で鰹節の表情が決まる。それは看板。基本、それは一人でやること。二人でやることはありえない世界。」

思った通り、稲葉さんは鰹節に情熱に溢れている人だった。問屋としての仕事の流儀がすごい。本当に言葉はストレートです。

我々消費者の責任の所在を明確にしてくるメッセージは耳が痛くなります。でも、愛情を持った直球を投げてきます。

「自分たちでやってみな」
実は鰹節に触るのは初めて!!!鰹のアタマを向こうに向けて皮を上と言われても、本当にわからない。とにかく、周りの人を見て、見よう見まねで鰹節を削るが、ここで思ったのは、「ほとんどの人は知らないのに、何を参考にしようとしているのか」ということ。

だから自分流にとにかくやってみました。たまに箱を開けるが、鰹節というよりも、鰹味の飴が入っている感じです。でも、色は鮮やかです。また、削っていくと、先ほどとは違う音を奏でています。箱を楽しみに開けてみると、そこには、さっきと違う色の「鰹味の飴」がそこにあります。何度、箱を開けても、思ったような鰹節は入っていません。

稲葉さんが手本を見せてくれました。全然違います。鰹節のホールドの仕方、そして、力加減です。「おー」と歓声が湧きます。今度は稲葉さんの見よう見まねでやってみます。

しかし、私はずっと「鰹味の飴」を作っていました。

イメージ図がこちら

「妄想商品名:鰹棒 (子どもたちはカツボーと呼んでいる)」

もしかしたら、私は鰹味の飴職人かもしれない。

「OO産とかは一切当てにならない。消費者が学ばないと」

これはいったいどういった事なのでしょうか。
「品質表示にの漁法や、保管方法が表示されていない。日本船による一本釣なのか、巻き網漁なのか、海外船での一本釣なのか。釣上げ後の処理法・保管方法が表示されていない。」と説明してくれます。

「最高の鰹節は一本釣りの鰹。苦しまないで死んだ鰹。そして、死後硬直でうま味成分が多くなる。」

どういうことでしょうか。

「巻き網漁で獲った鰹は網の中で暴れて死ぬから、苦しんで死ぬ。だから、尾が取れてしまうカツオもある。そうやって苦しむと乳酸がでるから、出汁が酸っぱくなる。」


写真を見せてくれました。確かに尾がない鰹があります。私は保存の為に処理されたものなのかなと思っていましたが、網の中で暴れているうちに取れてしまうようです。

「産地や表示で騙されてはいけない。消費者は学ばないといけない」

わかりました!

まとめると、「ダシを取るのは難しくない。最高の鰹節は巻き網漁ではなく、一本釣りの鰹。生きたまま冷凍される鰹ではなく、死後硬直があってから処理される鰹」

実は「ギフティッド教育はピンキリ」という私の言葉に驚かれる人もいます。

実はこれはあたり前の話だ。ギフティッド教育という面の表示を見て、「良いものだ」と思ってしまうのは、裏の表示を読まないまま購入してしまう消費者です。

ギフティッド教育といわれていても、大切なのは中身です。そのギフティッド教育を通して子供たちがどのような成長をしているかです。

中身のないものに「ギフティッド教育」というラベルを貼っても良いものにはなりません。

それは、ギフティッド教育に限らず、ラベルに騙されてはいけません。

保護者は学ばなくてはなりません。

どれくらい一本釣りで鰹を獲っているのでしょうか。鹿児島の枕崎市での鰹節生産に占める1本釣りの鰹節の割合は1%を切るということです。

日本のギフティッドと見極められる子どもの何%が、「自分のうま味」を自信を持って出しているのでしょうか。

「人は、良いか、悪いか、決めたがる。自分に合った出汁がいい。」

稲葉さんの 「鰹節+人生観」が本当に美味です。

後半へ続きます。