子育てを豊かにする教育のお話:教育の機会を決めるのに、子供本人に任せなかった場合、どうなるでしょうか。

教育の機会を決めるのに、子供本人に任せなかった場合、どうなるでしょうか。
子供たちは意外なことばかりに出会います!

その中には、本人も知らなかった本人自身の以外な魅力も含まれています!

「自分で決めたことは自主的にやるのでは?」という思いがありませんか。

子供たちが自分で決めても、こちらが想像していたような自主的には取り組まない場合があります。

「本人が決めても、思ったより自主的にはやらず、結局はケツを叩く状態なんです」というようなことを聞くことがあります。

そうなると、こちらの最終的なアドバイスは、「自分で決めたことでしょ」くらいになります。

私たち大人も、自分で決めたことで自主的にできないこと、また継続できないことたくさんありますよね。

禁酒、禁煙、禁甘いもの的な。やめなくてもならないもの。

または、逆にやるもの。歩いたり、ジョギングしたり、健康に「最低週に1回は」的なものですよね。

どうやら、決めることと、継続して取り組むことはまったく異なることのようです。

本人に任せる時、子供の心身の状態が良い時でない時があります。

そして、子供の心身の状態が悪い時に「本人に任せる」「本人の人生」だからと、教育の機会の選択を本人に任せるのは果たして、子供たちにとってベストなのでしょうか。

まだまだ必要なサポートやチャレンジが必要な子供たちです。

このまだ、未完全な、何者でもない子供たちに教育の選択を一任しても良いのでしょうか。

家族会議を開き、子供の意見も聞きつつも、最終的な判断は親がした方が良いと思います。でも、それは、いつまで?義務教育期間の間で良いと思います。

大切なのは、「子ども本人が選択する」ことでも、こちらから見て「最善な選択を選ぶ」ことでもありません。

一番大切なのは、「最善な選択ができる心身の状態」に子供たち自身でなれるようにサポートしてあげることです。

それは、きっと感情知性が効いている状態です。エンパワーメントを感じている状態です。

自分にチャンスを与えることができ、まだ、足を踏み入れていない領域に一歩を出せる状態です。

辛いこともきっと糧になることだろうとすでに経験済みであり、そういった機会に手をあげられる状態です。 

Growth Mindset – 成長のマインドセットの状態です。

子供たちが物事を決める時、何を基準にしているでしょうか。

自分の快適ゾーンでしょうか。できることでしょうか。

楽なことでしょうか。想像できる範囲内のことでしょうか。

それでは、子供が感情知性を育んでいる最中はどうしたら良いか。

それは、大きな教育の機会の決断を本人に任せない。

教育の機会を子供本人任せで決めないとどうなるか。

子供たちは意外なことばかりに出会います。

その中には、本人も知らなかった本人自身の以外な魅力も含まれています。

私たちは、みんなWork in Progress – 成長過程中 

子育てを豊かにする教育のお話:生徒たちはエンパワメントを感じているみたいです。 「EMPOWERING KIDS」

生徒たちはエンパワメントを感じているみたいです。
「EMPOWERING KIDS」


「エンパワメント!」 先日、本屋をブラブラしていると、やたら目に飛び込んでくるのは「~活」そして「~力」という文字。最近、この手のタイトルの本がズラっと並んでいます。


これから成長していく子供たちは、社会や学校からどんな活動や力を要求されるのでしょうか。果たして、そういった活動や力は必要なのでしょうか。


私が子供たちに必要と考えているのは「エンパワメント」 です。ちなみに日本語では「湧活」と言います。「活」 がついてしまいました!!!! でも、上記のいわゆる 「活動」とは違うので、ややこしくならないようにエンパワメントと言いたいと思います。


辞書で引くと、 エンパワメント(Empowerment、湧活)とは一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、 組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになること、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと定義される。


エンパワメントは色々な分野で使われ、ビジネスや社会運動に関しても使用されます。
私たちは以下のように教育分野で使用しています。


「エンパワメントとは、物事を子供たちが選択し、なおかつ、その失敗体験や成功体験も成長体験と感じ、 「俺すごい」「私できる」など自己肯定を感じる気持ち」

Empowering をする時の3つのルール
ルール1:「選択肢は子供たちと一緒に考えるものであって、提供しない」 ルール2:「選択するのはあくまでも子供」 ルール3:「どんな結果でも、ポジティブな所に光をあてる」


例えば、キャンプに行ったとします。効率を考え、 子供の年齢や体の大きさ、そして、経験を考慮して班に分けます。そして、「A班はテント立てて、それでB班は夕食の準備。はい、頑張ろう!」と声をかけ、協力して、準備をします。テントも設置完了、そして、 夕食の準備もできました。「できた。素晴らしい!」 と子供たちを褒める。子供たちも「できた」と。


一方、「Empowering kids」を意識してキャンプをします。「今から、テント張ったり、夕食の準備をしたりします。他にもしなくてはならない事に気がついたら言ってください」班決めはしません。子供たちの意見を尊重します。「私は火を起こしてみたい。」「僕はテントを張りたい。」中にはそれらをやった事のない子供たちがいるかもしれませんので、時間がかかるかもしれません。ヘッドライトをつけて、暗闇の中、まだまだ時間がかかります。


ゴールが「Empowering kids」であった場合、効率性は二の次です。できあがったテントを見て、「できた!」夕食も「できた!」と子供たちは喜びます。「次はなに?」「他に何かすることある?」と話します。しかし、 効率を優先して、Empowering Kidsを二の次にした場合、「できた」と子供たちが発言しても、多くは報告の「できたよ」が多いです。そして、「次は何?」と言う子は少ないでしょう。何か頼まれる前にどこかへ行ってしまうでしょう。


このエンパワメントは普段の生活にも流れ込んでいきます。自分ができること、できそうな自分が存在することに気がつき、突進していくでしょう。
子供たちが自尊心や自信を育むためにはこのエンパワメントは必要不可欠です。
What’s next?

Out of the box thinking – 型にはまらない考え方

アメリカ出発まで残り1週間、エリンとたくさんの問題解決をしなくてはなりません。

問題解決が必要な時、

アイデアに関して、やれること、想像できることは箱の中の思考であり、

問題は解決できないかもしれません。

でも、

「それ絶対無理じゃないかな」

「まったく想像できない」

そういった事を思った時がチャンス。

そう思ったら、箱の縁まできています。

でも、そこまでは誰もが立てるエリアです。

「それ絶対無理じゃないかな」

「まったく想像できない」

のままでいたら、きっと箱の中の思考でしょう。

もし、その絶対無理というものに、想像できないものを疑いながらでもいいから

解決方法の一つとしてやってみると、意外に上手くいくかもしれません。

そして、こう感じることでしょう。

「問題が起こってよかった。なぜなら、より良いやり方が見つかった。そもそも、なんで、このやり方で最初からやらなかったんだろう」と。

そして、こう感じることでしょう。

「なんて頭がガチガチになっているんだ」と。

思考のコリがあると、新しい価値や視点なんて得ることはできません。

まずは、冷や汗をかいて、思考のコリをほぐしていく。

夏は汗だけではなく、冷や汗もかいていきましょう。

大人も成長過程中!

FPコミュニティーの保護者のメンバーたちとこの夏に西穂高岳からジャンダルムを通り、奥穂高への縦走へのチャレンジのトレーニングのために裏妙義に行ってきました。

天気は最高!1年に何度もこんな天気の日は登山日にあたらないでしょうというくらい空は青く、暑くもなく、風もなく、清々しい日でした。
最初の2時間の急登で息が上がり、日頃の運動不足がわかります。高度への恐怖、鎖場の技術など、見たことがあっても、やってみないと、思ったように自分の体が動かないことも知ります。

チムニーという狭い幅の箇所を20mほど下りなくてはなりませんが、上からビレイをして、そして、皆さんもセルフをチェーンにかけて、下りていきますが、みんなでチムニーを攻略できたことが私にとって1日のハイライトでした。

僕らが学び直さないとならないのは、「できるようになる」という成長過程です。それは、きっと同じように「できるようになる」ために取り組んでいる子供たちとの関わり合いに大きく影響することでしょう。僕らも一緒です。いくら登山をyoutubeで見たって、難しい箇所を頭に入れたって、できるようにはなりません。「知る」=「できる」ではありません。「取り組めば、できるようになる」という成長マインド思考は、どんな逆境においても、道を切り開いていけます。

現在の体力面だけではなく、技術面も確認ができる日でした。自分へのフィードバックはプライスレス。

「準備なくやれました」という結果重視より、「取り組んでやることができました」はプロセス重視。ジャンダルムに向けて、まだまだレベルアップ、スキルアップ!

FPアウトドアEDUCATION@しまなみ海道の振り返り

キッチンカーを生徒たちと押しながら、しまなみ海道を渡ってきました。

FP WE BUILD 2022

Build..

キッチンカーを作りましたが、作ったのはそれだけではありませんでした。

初めての冒険に出た生徒は、たくさんの自信を育みました。

みんなで力を合わせて成し遂げる機会を作りました。新学期、新学年、自分と向き合う機会を作ってくれました。

たくさんの問題解決の機会を作ってくれました。自分を知る機会、自分と関わる機会はプライスレスです。

肌寒い日も続きましたが、スタートとゴール日は晴天に恵まれ、桜も満開で、とっても思い出深い冒険となりました。

出発して数日後、私はキッチンカーを押す生徒たちを見ながらこんな事を思いました。

「人生において、みんな、キッチンカーと一人きりの状態ってあるんだろうな。実はその状態であるということを知らないのかもしれない。知っていても、どうしたら良いのかわからないのかもしれない。」

一人でキッチンカーを引っ張っぱって、進む方向性は決められるかもしれないけど、大きくは動かすことはできない。一人で押してみても前は見えず、どこに向かうかわからない。タイヤは壊れ、壊れて動かなくなるまで進むことはできるが、それはあまりにも無計画だろう。引っ張っても無理、押しても無理。進めるのは数十メートルだろう。

どうにかしたいのであれば、周りに頼るしかない。

前にすすみたいのであれば、周りにAsk for a helpするしかない。

自分一人だけでは何ともならない。

参加した生徒たちはきっと同じ意見だと思う。

「一人では無理。」

でも、実際はキッチンカーと一人っきりという似たような状態でも「一人で」何とかしようとしているのではないか。

どのような場合でも、周りに一緒に押してくれる人、一緒に引っ張ってくれる人、一緒に旅を楽しんでくれる人がいることを知っていて欲しい。Ask for a help

「一人では無理かもしれないけど、誰かと、仲間たちとならできる」ことを経験することができたことでしょう。

時にはお互いの手をつなぎ、背中を押し、そして、応援し合う。それは、新年度が始まり、生徒たちは各自それぞれチャレンジすることがあるでしょう。また、取り組みがあることでしょう。それらもきっと周りにAsk for a helpしたら、見られる景色が大きく変わることでしょう。

キッチンカーとの旅は色々な喜びを与えてくれました。桜の下や、海辺、トンネルの中、素敵な場所を選んで温かいご飯を食べることができます。そういった中で、ウェルネスを実践してみる。食べるものに意識を向けたり、休息をとることに意識を向けたり、仲間たちと寝食を共にし、素敵な休憩場所を見つけ、食事を分かち合い、野宿をきめる旅は、今までに経験したことがない旅となりました。

想定外だったのが、キッチンカーが初日で故障してしまうということだったと思います。塩ビのフレームや、板など、そういったところで修理が必要なのは事前に予想はしていましたが、キッチンカーの前タイヤ2つが、出発した日の夕方までに壊れ、早くも問題解決の機会がやってきました。お互いへの応援もそうですが、キッチンカーへの応援が大きかったかもしれません。

「しまなみの青いタイヤ」

初日のランチでキッチンカーをオープン!因島大橋を渡る前で、丁度、腹ごしらえが必要でした。周りにはサイクリスト達がいますが、キッチンカーのブルーシートの裏で何が起きているかも想像がつかないことでしょう。

桜を見ながらの焼きうどんは最高でした。そして、準備万端で出発した時、左前輪からガタガタという音が聞こえ、足をひきずるようなガタン、ガタンと前進するたびに嫌な音が聞こえてきました。

キッチンカーの扱い方がよくありませんでした。歩道の段差は乗り越えられないと話しても、手で前側を持ち上げようとせず、勢いをつけて乗り越えようとさせ、1回目の大きなダメージがありました。異変に気がついたのは、2回目です。大きなセカンドインパクトで、完全に左前輪が右前輪に比べて奥に入ってしまいました。このキッチンカーが動かなくなった時点でキッチンカーとはもう旅はできないという瞬間が驚いたことに出発して4時間で来てしまいました。

キッチンカーを倒して状態をチェックします。手では全く曲げ直すこともできず、前と後ろを逆にして進むことができないかなど模索しました。最終的には結束バンドで前進の形で固定しました。

負担を減らすために、キッチンカーに載せている荷物を僕らのバックパックに移し、それは生徒たちにとって大きな負荷となりました。そして、因島大橋を渡り終え、今晩の野宿スポットに向かっている時、今度は右のタイヤからノイズが発生し、ベアリングが内部で破損していることがわかりました。不安な気持ちで、進んでいると、ラッキーなことにホームセンターが見えてきました。生徒たちは、完全に壊れる前に問題解決をするということでした。

今回、シンデレラフィットという言葉を使い、キッチンカーを制作してきましたが、この青いタイヤこそがシンデレラフィットとなりました。結束バンドでフレームに縛り付けただけで、前輪との高さが同じとなりました。キッチンカーは息を吹き返しました。具合の悪い前輪を大きくサポートしてくれる存在となりました。僕らの旅は、この青いタイヤにかかっていました。

「しまなみの青いタイヤはどんなシンボルになりましたか。その理由は」

「青いタイヤは復活と改善のシンボルになった。何故ならキッチンカーの前輪が壊れた時に青いタイヤで復活し、さらに小回りがきくようになったから。壊れても復活して、間違っていたところを改善することを意味するシンボルになった。」

「青いタイヤは自分にとって支えのシンボルである。もし、僕が青いタイヤの旗が見たとしたら僕はこう思うだろう。「あんなにキッチンカーの車輪がボロボロだったのに、青いタイヤを付けたら、キッチンカーとゴールできた。同じようにどんなに辛くてボロボロであろうと、青いタイヤを自分に付けたら、最後までゴールできる」と。」

「青いタイヤは、自分にとって再生のシンボルだ。あのキッチンカーは一度壊れたが、青いタイヤを付けてからは、再び安定して動かすことができた。逆に言えば、あの青いタイヤを付けていなかったら、ゴール出来なかったかもしれない。」

「僕にとって青いタイヤは、壊れた時こそ頑張る、というシンボルになった。理由はどんな物も壊れる時は壊れるから。 」

「僕にとって青いタイヤは運が奇跡を起こすシンボルだ。何故ならキッチンカーが壊れたとき、自分が良いのかどうかわからないけど成功したから。」

「自分にとっての青いタイヤは復活のシンボルです。なぜかというとみんなの心が折れたときに青いタイヤがみんなの心を復活したからです。」

Whatever it takes. 何がなんでも。そんな力強さを持ってこれから進んでいけることでしょう。

たくさんの人に頼り、たくさんの人に頼られる人になってもらいたい。

冒険は続く。

ギフティッド教育:同じ馬の絵を描く子たち

同じ馬の絵を描く?

例えば、馬の絵を描かせたら、プロ並の腕前の生徒がいるとします。すると、その生徒の絵の才能は周りから賞賛されます。結果的に、その生徒は賞賛されたい為に、同じ馬の絵を描きます。すると、その生徒は馬の絵以外は描かなくなります。それは恐怖だからです。他の事をしてもし上手くできなかったら、どうしようかと考えてしまします。だから、自分が上手にできる事だけをしてしまうので、「快適ゾーン」が広がっていきません。そういった完璧主義者のギフティッドの子供達もいます。


「鏡でなく、窓を見せる」大人は一歩下がってついていく。

子供達は情熱を持っています。
大人は子供達が情熱を持って何かに取り組んでいる時、何をしたら良いのでしょうか。それは「鏡でなく、窓を見させる」事です。

その情熱を通して、どんどん世界を広げてあげる事です。

しかし、ここで大切なのは決して、その情熱を横取りしてはいけません。

あくまでも子供の情熱であって、みなさんの情熱ではありません」

例えばこういった事はないでしょうか。子供がギターが好きで、弾いています。

よく聞くと意外と上手だったりします。すると、大人は「この子には才能があるのではないか!」と喜びます。すると、大人が率先してギターのレッスンを探してきたりします。ギターの個人レッスンの先生なども手配したりしてしまいます。クラシックのコンサートなども見つけ、連れて行ったりします。すると、残念な事に、大人の方が燃えてしまって、子供の情熱は冷めていきます。

理由はいつのまにか子供の情熱が親が横取りしているからです。
情熱ある子供に対して、与えられるものは一つです。
それは電話帳です。(ちょっと時代錯誤ですが)

自分で電話をかけさせて、どこでレッスンが受けられるかとかを調べさせます。

本当に情熱があればその情熱を止める物は何もありません。ギターレッスンの教室に自ら交渉に行かせます。要するに子供達が情熱を追求して行く上であくまでも彼ら自らが道を開いていけるように協力できるサポーターになれば良いのです。

体に汗をかき、脳に汗をかき、心に汗をかいて快適ゾーンを広げる。
それは英語で”Expand your Comfort Zone”というフレーズです。

直訳すると、「快適なゾーンを広げる」
すなわち、「新しい物事にチャレンジして自分の得意分野を増やせ」という事です。
得意分野を広げる為には新しい事にチャレンジするしかありません。快適なゾーンを広げるためには3つのチャレンジを常にしなくてはなりません。

一つ目は身体的チャレンジです。これは、マラソンしたり、ヨガしたり、空手をしたり、水泳したり、日々、習得を目指して精進します。

二つ目は教育的チャレンジです。
簡単な事ばかりしていないか。得意な科目だけ勉強していないか。勉強ばかりでなく、良いコミュニティーメンバーになれるように自分をチャレンジしているかなどです。
三つ目は感情的チャレンジです。

どのチャレンジも大切ですが、思春期の子供達はクラスで浮きたくないです。友達と衝突したくないです。問題があれば関わりたくないです。その中で、はっきりとクラス内でモヤモヤしている自分の気持ちを共有できたり、友達の目を見てしっかり正直な意見が言えたり、問題に関わって解決していくようにチャレンジします。

それぞれの分野で体に汗をかき、脳に汗をかき、心にあせをかかないとなりません。「快適なゾーンを広げろ!」このフレーズはよく子供達を鼓舞する為に使います。

“Are you still painting the same horse?」「まだ同じ馬の絵を描いているの?」

ギフティッド教育:NOT YETというとっても大切な概念

新年、新学期、新しい生活のリズム、慣れるものもあれば、取り組まなくてはならないこともあります。

子どもたちが取り組む時、私は一つだけ質問します。

それは、「みなさんは準備はできていますか」ということです。

取り組むことにコミットするのは、子どもたちだけではなく、私たちもです。

実際は、私たちのコミットメントの方が大変なのかもしれません。

そもそも、取り組まないとならない物事は、生徒たちにとっては、”NOT YET まだ…できていない”のものばかり。

でも、このNOT YETという概念はとっても大切な概念です。

「今はできていないけど、取り組めばできるようになる」ということです。

この概念は経験によって、大切な価値に変わっていきます。

でも、生徒たちが取り組んでいる時、やっぱり目につきます。

「おろそかにしている」

「だらけている」

「コミットメントが足りない」

「「やる」って言った言葉はどこいった?」と感じるかもしれません。

生徒たちは「やる」と決めても、「実行していくスキル」が伴っているわけではありません。

必ずしも、「取り組む=できていく」わけではありません。

できる日もあれば、できない日もあります。

今日できたからといって、明日も必ずできているわけではありません。

僕らの目線を「できている」「できていない」ところに向けず、「取り組んでいるか」「取り組んでいないか」に目を向け、できる限り「取り組んでいる姿にイイネ」の応援を送りましょう。それは、生徒たちにもその「プロセス重視」を大切だということを教えてあげましょう。

子どもたちが取り組むことに、あえて親は何をするか。あえて何をしないか。明確にしておくこと。何を言うか、何を言わないか。明確にしておくこと。

目につくと、指摘しがちです。そして、その指摘は口論に発展することもあります。

どんなに口論が激しくなったとしても、

「キラーステートメント」は絶対に言わないというコミットメント

「キラーステートメント」とは、

相手を傷つける言葉、取り返しのつかない言葉、後で後悔する言葉です。

例えば、学習面に取り組むとしたら、

「だから、勉強しておけばよかったでしょ」

「だから、小学校に行けばよかったでしょ」

「どうせ続かないでしょ」

「どうせやらないでしょ」

「バカなんだから」

「もっとできる子だと思った」

キラーステートメントはたくさんあります。

以上のようなキラーステートメントは生徒たちにとっては傷つくだけではなく、お父さんもお母さんもそう思っているんだと感じてしまいます。

もしかしたら、本人自身も思っていることに対して、やっぱりそうなんだと確実なものとしてしまいます。

そして、キラーステートメントは、生徒たちが「できない理由」「やらない理由」としてしまいます。

なので、

キラーステートメント」は絶対に言わないというコミットメント。

しない変わりにすること。

それは、

E-ステートメントのEはEncouragementのEです。

応援の言葉を言うコミットメント

「頑張ってるね」

「やってるね」

「取り組んでるね」

そして、「褒めて育てる」のではなく、子どもが自身に「イイネ!」を出す。

その言葉を親はエコーして増幅してあげましょう。

「頑張っているね」は、「頑張って」という一度の応援だけではなく、

「頑張りを見ている」ということを伝える言葉です。

E-ステートメントは言われれている側だけではなく、言っている側も気持ちが良いものです。

結果ではなく、取り組んでいることに「イイネ」

タイムラインは?まず2週間です。

E-ステートメントにコミットメント。

素敵な言葉で溢れる2週間にしてください。

そしてGWは振り返りとお祝い!

できているか、できていないかに目がいくと、私たちは、

「何度言ってもできないんです」

「何度言ってもわからないんです」

子どもたちは Executive Functioning Skills がそもそも備わっていません。

これは、実行機能スキルといって、タイムマネージメントだったり、段取りだったり、

準備だったり、整理整頓だったり、いわゆる、生徒スキルに直結しているもの、

または学習に直結しているものです。

このスキルを学ぶには、中学で2年も3年もかかります。

でも、目的は実行機能スキルを上達させるのがゴールではなく、「Study Smart, not just hard – 一生懸命だけではなく、賢く学ぶ」ことを実践していくことです。

よく、小学校の時に成績がよくても、中学に進学してから、成績が下がったというケースがあります。それは、勉強が難しくなったのではなく、実行機能スキルがなく、生徒スキルがないからです。

クラスにいるだけで良い成績がとれる。特に勉強しなくても良い成績がとれる、または、宿題なども次の日などの提出などの小学校生活だと、そもそも実行機能スキルが必要とされていないのです。

しかし、中学になると、教科によって先生に教え方が変わり、宿題も翌日ではなく、数日先、数週間先のもの、そして、平行して部活などがあり、中間テスト、期末テストなど、出題範囲が広く、また、前日勉強すればどうにかなるものではありません。

実行機能スキルと生徒スキルを向上すれば、学習面も生活面も向上していきます。

できるかできないかといったら、はるかに何十年も生きている僕らの方ができることでしょう。

でも、日々、成長しているか否かといったら、もしかしたら、生徒たちの方が成長しているかもしれません。

子どもたちが取り組む時、私たちも、取り組む準備とコミットメントが必要です。

「みなさんは準備はできていますか」

ギフティッド教育「Enrichment – より豊かに」!

子供たちの成長を見ていくのはとてもエキサイティングです。その中でもギフティッドの子どもたちは教育者としてはチャレンジしがいがあるグループです。簡単ではないです。でも、教育者冥利に尽きます。それは、教育者としての経験を豊かにしてくれるほど多種多様な、一筋縄では行かない子供たちだからです。

なので、「Enrichment   – より豊かに」!

機会を最大限にチャレンジしていくことで、彼らも機会への捉えたかを学んでいくことでしょう。このグループは常に教育現場で光があたっている子たちではありません。なので、光をあて、なお、彼らが輝いていける道に少しでも目線を向けていけるように一緒に歩むことは、プライスレスです。

ギフティッドの子供たちは、全ての面においてエクストラが必要な子たちです。

エクストラに精神面でのサポート、チャレンジ。エクストラで関わってくれるメンターなどなど、何かとエクストラが必要です。そして、成長過程で、そのエクストラに必要なものがどんどん変わっていきますから、「何が旬か」(この場合は、一番必要としているサポートとチャレンジのこと)です。を見極めていることが必須となります。

そして、最終的には子供たちがどんなYouth時代を過ごすか。思春期、青年期、手を離した先にどんな人たちが周りにいるか。どんな価値を持って生きている人たちがいるか。

その中で、子供たち自身も大切にしていきたい価値を持つようになります。子供時代を満喫できるように。Awakening Excellenceが本人たちができるように。

ギフティッドの子供たちは「At Risk Kids」でもあります。

よくギフティッド&タレンティッドという言葉が使われますが、ギフティドアンダーアチーバーという言葉も知る必要があります。ギフティッドの子供たちは勉強面、社会面、そして、感情面でアンダーアチーブする可能性があり、色々な面で困難があり、その影響は人格形成に影響します。

よく私は「崖っぷちを歩いている子供たち」と説明する時があります。こちらから見ていると上手く道を歩いているように見えて、「一人でも大丈夫」「サポートなしでも大丈夫」と本人たちも思いがちですが、常に向こう側は崖っぷちであり、上手く歩けているようにみえても、何でもないようなものでコケ、一気に総崩れしてしまうリスクを常にはらんでいます。

モチベーションが低い

自己肯定感が低い

学びや学校へのネガティブな態度

リスクを取ることに関して消極的

競争に関して偏った捉え方

持続力がない

ゴールに向けての取り組みをしない

孤立しがち

クラス内ではうるさく、活動を拒否

これらの状態が続いていくと、必要な機会に手をあげられず、必要なサポートも得られず

挑まれないまま進学だけしていきます。また、自分へのイメージ。自分とはどんな人なのかと存在価値を決めていくにも、ネガティブな材料ばかりの経験の上になっていきます。

安心できるコミュニティーで成長する必要性がある

長いお付き合いが必要な子たち。魂と魂のぶつかり合いが必要な子供たち。特に、思春期、青年期、必要な機会とサポートを通して、感情知性を育んでいき、自分の既知と未知を知っていくこと、そこから、自尊心を育んでいくことができ、自分の魅力を探求できる価値観を自分のコアとして身につけていくことが彼らにとって人生の財産になっていきます。

アメリカで働いていた時、“Middle school is a last shot – 中学校が最後のチャンス”とよく先生方と保護者に向けて話していました。私はその後の高校までチャンスは残っていると思っていますが、やはり、中学生あたりの経験はまだまだ魔法が効く時期。彼らが自分の存在価値に目を向け、快適ゾーンの外での自分へのチャレンジへのリスクをまだまだとれる時期です。そして、高校でより大きな機会に手をあげていく上で、クリティカルな時期になります。

どんなチャンスか。それは、成長していく上で、魅力を探求していく上で、人生を旅していく上で必要な価値観、モットー、哲学を「経験を通して学び」、背骨となる感情知性を育んでいくことです。それが、彼ら自身が「自分の背中を自分で押していく」ものとなります。その状態は、Thriving!良い意味で手がつけられない状態になります。

現状、日本では、場合によっては小学校低学年から教育がストップし、そのクリティカルな時期に辿り着かない傾向があると思います。また辿り着いたとしても、騙し騙し進んできた場合では、そのクリティカルな時期に必要な活動ができない状態になっているかもしれません。「教育自体がストップする」「騙し騙しの小中学」という状態になる。そこから、もしかしたら、「ギフティッド」という教育ラベルは、スティグマになるかもしれません。

スティグマは「烙印」「不名誉」など、自分に傷をつけ続けて、背負っていくスティグマになるかもしれません。

ギフティッドと呼ばれていたのに…

ギフティッドと呼ばれていても、他のギフティッドと比べて才能がない。

ギフティッドじゃなければいいのに

ギフティッドと呼ばれても、成績はよくない。

ギフティッドと呼ばれても、成功していない。

まずは、後にも先にもウェルネス。心身ともの健康。

そこにギフティッドの成長していく上で真のニーズがあります。アカデミックや才能だけではありません。彼らは魅力満載の子たちです。旨味が凝縮している子たちです。Awakening Excellenceへ。でも、それは心身ともの健康のもとに達成できるものです。もちろん、これは、生徒だけではなく、家族のウェルネス。

思春期を黄金期へ

魅力!魅力満載。才能というものは、彼らの魅力のほんの一部にしかすぎません。

現社会で、子供たちが表現している魅力に価値がない(日本において評価される才能ではないから)とみたとしても、将来、彼らはその魅力を価値あるものとして、社会で表現し、世界に貢献するものとなります。僕ら大人が魅力を磨いていく。背中を見せる。僕らもまだまだ足を踏み入れていない魅力の領域がたくさんあります。

どんなに灯火が消えたとしてもコミュニティーのエネルギーで再び情熱の火に灯すことができます。どんなに諦めたとしても、コミュニティーのエネルギーで、視線を上げることができます。

子育てを豊かにする教育のお話:「あなたはどんな人になりたい?」

「あなたはどんな人になりたい?」職業ではなく、どんな人になりたいか。

時に、私たち大人は子供たちに「あなたの人生なんだから」と言います。しかし、子供が「自分の人生なんだから、ほっといて」という年齢になった時、子供たちはどんな成長の機会を通して、大切にしていく価値観を心に深く刻んでいるのでしょうか。知識でなく、価値。

多くの失敗と成長を伴う成長体験から、そして、多くの出会った人たちから学んだ価値観はプライスレスです。それはその子自身を作っているもので、絶対に無くしたくないものです。

そして、どんな選択肢が目の前にあるかではなく、感情知性を効かせ、どんな最適な選択ができる人に育っているか。これが一番大切なのではないでしょうか。
子供たちは、私たち大人からのメッセージは足りていますが、仲間同士からのメッセージ、そして、実践する機会は足りていません。自分以外のことを学ぶ機会は足りていますが、でも、自分のことを学ぶ機会は足りていません。そして、その機会を目の前にしても、子供たち自らそれを成長の機会として関われないかもしれません。


ライフスキルにばかり焦点をあてていないだろうか。

子供たちは「できる、できない」ばかりに囚われていないだろうか。そして、年齢以上のことを求められ、できる事、できない事に悲観していないだろうか。子供たちは一年一年に細かく成長を区切られ、求められる事が多いのではないだろうか。例えば、6年生に求められるものは、5年生よりはるかに大きい。その点、大人は大きな目で見られている。20代、30代、40代、など。

日本の学校では、圧倒的な時間を使い、自分以外のことを学んでいる。そして、自分のことを良く知らない子が多いです。そして、大人になった時、「自分探しの旅」が始まります。大人になってから、「自分探しの旅」が始まることが決してダメという事ではありません。大切なのは、その旅に出ていく時に持っていく価値感です。ライフレッスンで学んだ価値です。

ライフスキルより、ライフレッスンはいつ学ぶのだろうか。例えば、子供たちはモットーを持って何かに取り組んでいるだろうか、キャンプの途中、キャンプ後に行くロードトリップの話しをしたら、「今、存在する」と一喝されてしまった。

今、目の前にある機会は瞬く間にすぎていく。目の前にある物事、人にコミットしなければならない。「Being Present」存在する。どちらも、生徒たちが自分たちで決めたモットーです。

僕らは目の前にいる生徒を見ていても、遠くを見ている。最低でも半年後のチャレンジを考えている。実は簡単なようで、実はそう簡単ではない。それは、子供たちとの距離感が影響するから。距離感が近いと、その子の長い目で見た成長というのを、親の希望や期待として話せますが、実際に、半年後のチャレンジとなると、それはどんな姿なのでしょうか。

そして、その快適ゾーンは親が持つ快適ゾーンに影響される。子供が快適ゾーンの外に出ようとすると、大きくブレーキをかける。「まだ、いいんじゃないの?」「来年はどう?」「まだ、五年生だから」親も快適ゾーンを広げていかなければならない。

準備ができてからのチャレンジは、既にその子にとってチャレンジではない。
親や先生としては「予想通りの成長」より「予想外の成長」の方が嬉しくはないでしょうか。
そっちの方が絶対ワクワクしますよね。

子育てを豊かにする教育のお話:親がいないところ快適ゾーンの外かもしれない

親がいないところ快適ゾーンの外かもしれない
思い通りにいかない機会快適ゾーンの外かもしれない
想定外の状況への心身ともの対応。快適ゾーンの外かもしれない
快適ゾーンの中は、甘えを出せる領域。頑張らなくてもできてしまう物事に溢れている。よく知っている人たちに囲まれている。チャレンジしなくても良い雰囲気。すなわち、既知の自分。知っている自分がいる場所。新しい発見や意外なことはあまり見つからない領域。

特に、「まだ、何者でもない子が、すでにsomeone special (自分は特別)と思っている子」は、快適ゾーンの外に出る壁は高いです。また、「自分と他者に期待が高い子」も壁が高いです。「失敗するのが怖い子」も壁が高いです。

どんどん壁は高くなっていきます。倒せれば自分の人生のミッションへの架け橋になりますが、ほとんどの場合は、「ちょっとした気持ち」に圧倒されて、快適ゾーンの中にいる選択をします。

一方で快適ゾーンの外は、意味がわからない。勝手がわからない。自分の役割がわからない。できないことばかり。知らない人ばかり。普段生じない気持ちや気分になる。ワクワクだけではなく、不安も入り混じる。必死。冷や汗をかく。未知の自分。新しい発見や、違う視点、意外な自分の1面に出会える領域。

「意識」が変わったら、子供たちの行動って変わるのではないかなと考えがちです。だから、「よく理解させる」ことが、「大きく意識が変わる」と思いがちです。頭ではわかっているけど、気持ちが行動にうつさない。
でも、「意識」だけではなく、「気質」が大きく行動の選択を左右しているとしたら?
その子が持つ気質などは、親や先生が知っていても、子供は知らない場合の方が多いです。こちらかみると、「明らかでしょ!」って思うかもしれませんが、子供たちは、自分の「気質」を知らないことの方が多いです。
のんびりや、せっかち、頑固、楽観的などなどに加えて、一番主義、固定マインドセット、自他への期待が高い、間違えたくないなどなど。
良くも悪くも、自分の「気質が起因している」出来事は、どの環境においても、どのグループにおいても、どの機会においても、同じ出来事に遭遇するかもしれません。その場合は、この場所でもそうか。このグループでもそうか。この機会でもそうかと思いがちです。しかし、自分の気質が起因していると感じる子はどれくらいいるでしょうか。そして、気質は子供自身が大きく機会を生む場合もあれば、機会を失う場合もあります。

折り合いをつけるためには、折り合いをつける相手(自分)を知ること。折り合いをつける自分って誰だろう。折り合いをつける自分のこと、どれくらいよく知っているのだろうか。

自分が一番自分の理解者か?自分が一番適切なアドバイスをしてくれるか?自分が一番自分と上手に付き合えているか?
子供たちの特権。本人は冷めていても、本人以上に、人としての成長に熱くなってくれる仲間達、先輩後輩、先生、友達のお父さんお母さん、関わってくれる大人たちがいる。心配してくれたり、指導してれたり、叱ってくれたり、ガイドしてくれたり、アドバイスしてくれたり、一緒に冷や汗をかいてくれたり。

感情知性は大人になってから、一緒に取り組んでくれる仲間や大人はグっと減りますので、子供たちの特権ですよね。親から手が離れた時、どんな人たちが子供たちの周りにいるでしょうか。どんな人が関わってくれるでしょうか。そして、window of opportunity がどんどん閉まっているとしたら?
この夏、家族以外と長い期間活動しますか。その活動中、知らない人との出会いはありますか。その活動中、知らないアイデアを試すことができますか。その活動中、普段にはない役割を持つことができますか。

快適ゾーンの外にでて、感情知性を育む。
「感情知性を効かせる」という言い方があります。
効かせるという場合は、気持ちにスマートにならざるおえない状況かもしれません。そして、その自分の気持ちに適切に対応でき、適切な選択をしている時、「感情知性を効かせる」という言い方。感情知性を効かせなくてはならない、心がエクセサイズできる機会をこの夏にチャレンジしてください。