今瀬家の日常アドベンチャー&バンライフ

子育てを豊かにする教育のお話:PLAN BはPLAN Aよりエキサイティングにすべし

結論:最初の計画がダメになった時は、それに変わる計画は、当初の計画と似てもにつかないエキサイティングなものにする。

2020年、コロナでアメリカでサマーキャンプを開催することができませんでした。その代わりに中山道526kmを3週間で野宿をしながら踏破しました。

2021年の夏もアメリカでサマーキャンプを開催することができませんでした。

でも、「レモンをレモネードに変えること」にコミット!

成長過程中の7名がいました。今年は、Way Findersとして彼らにチャレンジしました。

FP Way Finders 舞台は東海道五十三次492キロです。

究極のセルフサイエンス「自己を科学する」機会でした。

自分の中の普段見えている景色を見ながらも、まだ見えていない「自分への景色」も見られる機会でした。

7名の生徒たちはその「自分への景色」に魅了されていました。

3週間という期間を仲間たちと東海道を野宿しながら歩むのは一生に一度の経験でしょう。歩んだものしかわからない経験でしょう。汗、冷や汗、鼻水と鼻血、そして涙。出てくるのは、まだまだあります。普段の甘え、普段の周りや自分との関わり方など、そして、まだ足を踏み入れていない新しい「自分の成長の領域」が出てきます。

今回のグループが安全にゴールできたのは、安全を作りながら歩み続けたらからです。

「ラッキーだったから」と決して運が良かったからではありません。

「自分を知ることはお祝い」

肯定的じゃない自分、課題がある自分を知ることも含めて、素敵な自分を知ることは何よりも素晴らしいこと。

子供たちは、自己肯定感を高める、自信を持たせる「自分」をよく知りません。自分を知らないから、なかなか自分で育んでいけない。自分を知ることは、自身で、大きな自己肯定感を高めたり、自尊心を育んでいくことができます。

しかし、普段、どれくらいの意識を自分に向けているでしょうか。普段、どれくらい自分の成長に目を向けているでしょうか。普段、どれくらい、「なりたい自分」を目指しているでしょうか。

勉強など、自分以外に目を向け、自分以外のことを学び続けていると、内省的知能は育まれません。自分に関して以外の知識が増えていく一方で、自分に関してはあまり知らないという子は多くありません。もちろん、勉強も大切ですが、それ以上に、自分の成長に目を向け、挑み、自分について学ぶことは、子供時代から育んでいく必要があります。それは、勉強も含め、社交面や、感情面での成長に大きく影響があるからです。

東海道はWay Findersが唯一無二の経験をする最高なステージ

ステージ1「まずは100キロ」

普段はあまりみない足の箇所。まずは、そこからの痛みに耐えながらの100キロです。毎日変化していく水ぶくれやマメに目を向けました。

100キロを超えたら、水膨れも潰れたり、自然に治ったり、体が痛みに慣れていきます。また、野宿にも慣れ、道端に座って食事することにも慣れていきます。痛みに慣れるのに200キロかかった生徒もいました。

この最初の数日間で出てくるのは、無意識な普段の自分たちの態度でした。普段、自分と周りとどう関わっているか。良い関わり方ができている生徒もいれば、そうでない生徒もいました。

ステージ2「普段の自分とつながる」

100キロ超えた後くらいから、体の痛みにも慣れ、歩きながら、普段の生活や、学校生活、抱えている悩み、そういった内容の会話が徐々に増えていきました。

すでに1日30キロ歩くことはチャレンジではなくなってきました。

仲間達だから、さらけ出せる自分。仲間達同志で意見がぶつかったり、気持ちがぶつかっていても、実際には、相手とではなく、自分自身とぶつかっている場合がほとんどです。自分の課題とぶつかっている。その自分とぶつかることを仲間達を通してすることができる素晴らしさがありました。

ステージ3「未知なる自分の領域へのチャレンジ」

リーダーシッププログラムの開始です。バタフライチャレンジ!生徒たち2人が選ばれ、グループをリードしていきます。全責任はその二人に委ねられます。リーダーシッププログラムを通して、セルフサイエンス(自己科学)ができるように、リーダーやリーダーシップがどういったものかという議論します。

生徒たちのリーダーやリーダシップに関しての知識はまだ少なく、「今日は僕がリーダーで、明日は君」のような役回りで回ってくるようなリーダーの話をしていました。単に「決める権限を持っているだけのリーダー」です。基本的にはスケジュールなどを決めていくだけの役です。

信念や信条は決定していくことに反映されておらず、また、考え抜いてもいないので、思いつきや、考えついた事をグループに伝えているから、他の生徒たちの思いつきや考えで覆されることが多々ありました。ほとんどのリーダー達が「考え抜いていません」でした。また、リーダーたちからは、責任を他の誰かに委ねたい思いが見え隠れしていました。

リーダーたちが他の仲間達と同じ景色を見てしまっています。だから、常に「決めるだけ」の役回りになっている。例えば、コンビニに到着したら、邪魔にならないようにバッグが置けるところを見にいったり、野宿スポットであれば、その公園の中でもベストな場所を見つけに偵察にいったり、小さなことではありますが、リーダーは2倍も3倍も汗をかかなくてはなりません。同じ景色をみていてはならない。目指す景色を見せる必要があります。

安全に30キロ歩くことは簡単なことではありません。休憩時間、ランドリー、銭湯、天気、各生徒たちの体調、交通状態、道の状態、優先順位が変わるだけで、その日に大きく影響が出ます。まず、驚くかもしれませんが、道を渡ることができません。左右確認だけではダメです。前方からの右折、後方からの左折。グループの前と後の距離、交通状況を瞬時に判断し、ドライバーに合図を送って、道を安全に渡りますが、一人で渡るのと、グループで渡るのは、決して同じではありません。

「パニッくったら、判断ができないことがわかった」とある生徒が振り返りのミーティーングで話しました。

グループが安心できない状況ににいる時、私の喝が何度か入ります。

「自転車!」「歩行者」「一列!」と伝言ゲームのようにグループみんなで声を出しますが、これは、決して自分たちが怪我をしないようにではなく、自転車の人たち、歩行者の人たちが、私たちや、私たちが背負うバッグに当たって怪我をしないように声を出し続けます。

本当のバタフライチャレンジは1回目ではなく、2回目です。

1回目で、自分の現状を自分で知り、できることばかりではなく、できていないことも受け入れる。そして、大切なのは、「まだ、できていなくても良い」そもそも経験不足なのですから、備わっていないものばかりです。意識だって芽生えていません。周りから建設的なアドバイスをもらい、2日目に挑戦です。見えたのは、リーダー達の改善点へのコミットメント。これだけでも大きく動きが変わりました。

でも、どのリーダーからも「仲間達の命を守りたいという強い思い」が伝わってきませんでした。

バタフライチャレンジが終わった時、どのペアも、喜びの大きなハイタッチの音が聞こえてこない。

仲間達にはない、リーダー二人だけの喜びや空気感がない。

バタフライチャレンジは、生徒たちは経験したことがないレベルで、自分を見つめることができる。

リーダーとしての自分だけではなく、「素の自分」です。

とにかくバタフライチャレンジはきついです。忍耐と体力が必要となります。

実際に大変なのは、リーダーの二人ではなく、率いられている仲間たち。仲間達も必要な助言以外はリーダーに任せる。基本、私も口出しはしないものの、グループに負荷がかかりすぎてしまう前に、助言をしなくてはなりません。日程が変わったり、グループの健康状態に影響が出たり、踏破できないのであれば、本末転倒です。

今回の冒険の最大で最高のご褒美が17日のコミュニティーで箱根の旧東海道を歩く10キロでした。

これは、私の中でも想定外の成長の機会となりました。

参加者の名簿はないので、生徒たちも何名、どんな人たちが参加するか伝えることができませんでした。

当日は、多くの保護者の方々も参加して頂き、低学年のFPの生徒たちや兄弟たちも参加してくれました。

リーダーに選ばれた2人を中心に、これまでのバタフライチャレンジの様子で、お互いの適材適所を決めて17日に挑みました。みんなが声が出ています。参加者にどんな日にしたいかを伝え、啓がそれを分かり易い声でエコーします。一人の生徒は真ん中に陣取って前後の声を拾い上げて伝え続けます。もう一人は、水が足りなくならないように4Lの水を持ちながら、列を前後します。もう一人はスイーパーに徹して、後方のグループの安全を守ります。そして最後の一人は足の怪我をしましたが、途中から復帰し、列を前後し、スタッフのバランスを確認し続けます。危ない箇所は、子供たちの手をにぎり、体を呈して守ります。

実際に道を歩いてみると、石畳の箇所ばかりでばなく、歩道のない国道を歩かなければなりませんでしたし、何度も道も渡る必要がありました。

7名みんながリーダーでした。

「みんなの命を守りたい」という気持ちが声に乗っていました。安心安全を単なるキャッチフレーズのように使うのではなく、心から「参加者の安全、自分たちの安全を守りたい」という声でした。彼らの信念、ボイスが育まれていく瞬間でした。

箱根湯本に到着した時、赤い橋の上で、みんなのハイタッチの音が聞こえてきました!みんなを守り抜いて、カッコよくて、自分たちを誇りに思う瞬間でした。みんなが輝いていました。「それだよそれ!」

ステージ4:振り返りとお祝い

まだまだスキルを磨いている生徒、ソロの振り返りの時間に日記に、気持ちや考えが忘れないようにCapture the moment (瞬間を捉える)にエネルギーを注いでいる生徒、最後の4日間は毎日歩く距離を20キロに落としたので、距離的には楽ですが、苦しい20キロの4日間でした。梅雨も明け、日中は到底外を歩けない気温でした。今までずっと30キロ以上を歩いてきて生徒たちにとっては、まったく問題もない距離です。しかし、長い休憩を入れることによって、疲れが出始めました。その中で、まだまだ「今の自分」と向き合わなくてはならない生徒たち。みんなで、WAY FINDERSへの思い、惜しみなく振り返りました。何度もこの道中をハイライトすることで、記憶から薄くなっても、気持ちには刻まれていきます。

1日30キロ歩きながら、

ゴキブリも出るような寝床で野宿しながら、

お互いの健康を労りながら、

銭湯に入って汗を流しながら、

湖を背に、涙を流して、気持ちを吐露しながら、

知らない人たちから差し入れを頂きながら、

ヒルと格闘しながら、

野宿はロマン

ドキドキしながら野宿。橋の下から始まった野宿。今回はどの物件も最高!コンビニ近、トイレあり、銭湯近、レイクビュー、夜景、星空が見えるスポット、テーブル、椅子設置済み、部屋だと南向きや北向きがありますが、私たちにとっては、風向きが良い物件の条件の一つ!また、ゴキブリのルームメイトもいたり、最高な野宿でした。特に、芦ノ湖に2泊した時の夕焼け、そして、芦ノ湖からみる富士山は今でも目に焼きついています。

そして、

7月21日、14:00 ゴールまで残り8キロまで来ました。

品川宿の辺りで最後のみんなへの課題です。

「Way Findersとは?」をみんなで定義をする

「自分の小さな強さに気づいた」

「気づいているけど目を背けている自分」

「どんな人になりたいかを忘れていた」

「笑顔でいたい。堂々としていたい」

「普段の自分がおかしくなっている」

「やっていることより、あきらめていることの方が多い」

「あまりいいところがみつからない」

「信念がなかった。耳を傾けていなかったのか、そもそもないのか」

「なんとかしてない。なんとかなるさで生活してしまっている」

「聞けない。聞き方を忘れてしまっている。それは悲しいことだと思う」

「自分に違和感がある。冒険に出てみてやっときがついた」

「どんな日にしたいかやっときがつけた」

「この15年間良かった!」

「人生の振り返りができた」

「15年間ずっと頑張ってきた。でも、自分をほめたことがなかった。褒められたこともなかった」

「俺15年間頑張ってきたんだ。区切りをつけることができた」

「自分を褒めるのはまだ難しい。まだやり方わからないけど、自分が歩んできたから。

「どんだけ頑張ってきたか知っている」

「共感できる奴がいないと思っていたけど、共感できる奴いるじゃん。俺がいるじゃん!」

「生きてるからこそ感じる大きな穴。充実した時にしか感じられないもの、これは何だろうと改めて感じた」

真摯に親身に向き合う仲間達。

話がまとまらなかったので、私がみんなに聞いたのは、

「何を一番しただろうか。」

WAY FINDERSとは、「考え抜いて、「今までの自分とこれからの自分」に辿り着く人たち」だそうです。

このカッコの中には色々な言葉が入りました。でも、7人が出した言葉です。とっても抽象的ですが、

具体的な冒険話は各自によって違います。

そして、FINISH STRONGへ

ゴール手前8キロ。ゴール予定時刻まで2時間半。

ミーティングが少し長くなってしまいました。

コースタイムでは十分に間に合う時間ですが、なにせ10キロ以上の荷物を背負い、休憩を取りながらでないと熱中症になる暑さです。

7月1日に三条大橋を出た7人のWAY FIDNERSは、7月21日17:00 に

皆さんが準備してくださったゴールテープを無事に切りました。

皆さんの応援で、WAY FINDERSのみんなは、人生で2度ないかけがえのない冒険に出ることができました。

不安な日々も過ごされたかと思いますが、7名が安全にゴールできたこと、本当に嬉しく思います。子供たちはコミュニティーで育ちます。コミュニティーの持つ偉大なエネルギーに感動いたしました。

冒険は続きます。

子育てを豊かにする教育のお話:振り返りはお祝いです。

結論:「褒めて育てる」ようなキャッチフレーズで子育てをしていても、子供たちは必要な心は育まれません。周りが褒めるのでなく、自分が自身を褒める。自信も自尊心も自己肯定感も、全部「自」のつくものは他人が与えることはできないものです。「自ら」です。

Reflection is Celebration 

振り返りはお祝いです。

「振り返りしましょう」というのは、「お祝いしましょう」ということです。だって、大変な道を歩んできたわけですから。取り組んできたわけですから。

なので、振り返ることがなければ、取り組んでいることもないかもしれません。

そして、取り組んでいないのであれば、自分のことを知ることもないかもしれません。

でも、本当のお祝いの意味は「自分のことを知る」ということです。「自分のことを知る」ことはこの上ない最高な自分へのご褒美です。それは、「成長過程中」で見ることができる自分です。

日本の教育は「子供たちにとってどんな経験が良いか」を考えます。

でも、「子供たちの成長にどんな振り返りが必要か」はあまり考えません。なので、実際に良い経験をしている子供でも、自信や自尊心が育まれていない場合があります。

それは、良い経験の垂れ流し状態です。

もったいないです。

良い経験のために準備した時間、取り組んだエネルギーくらいに、振り返りの時間やエネルギーにも費やす必要があります。良い経験は良い振り返りによって成長に変わります。だって、成功体験も失敗体験も成長体験なんですから。

子供たちが必要なのは成功体験の連続ではなく、成長体験、成長過程中という過程です。

でも、教育現場では、そんな「振り返り」も大抵の場合は「感想文」で終わってしまいます。それは、子供たちに同じ経験をさせて、同じアウトプットです。

FPの生徒は色々な経験をしています。みんな、感じ方も違います。表現の仕方も違います。

でも、

「振り返り」の意味がよくわからない」

「振り返りの仕方がよくわかない」

「集大成のチャレンジ」をしてみましょう。

何をもってお祝いとするのかが各自それぞれです。

今年のチャレンジの集大成を考え、大きなチャレンジをすることもお祝いでしょう。これまでの取り組みなどを魅せることができます。

例えば、赤岳に登るのに取り組んできた生徒たちは赤岳に登る機会というのは、チャレンジでもあり、これまでの取り組みを魅せることができるお祝いでもあるわけです。

「お祝い作品を制作する」をしてみましょう。

また、何か形に残しながら振り返ることもお祝いです。

物語を書いてもいいでしょう。写真をプリントアウトして、コラージュを作ってもいいでしょう。その時、今まで使ったことのない素材で形にするのが良いでしょう。

「物事に取り組んできて、成長を感じる時に、最後、どんな気持ちになっていたいですか。」

チャレンジした後、「反省会」という言葉が聞こえてきたことがあります。確かにチャレンジ中に感じたことだってあるだろうし、改善点だって見えたはずです。でも、まずは、反省会じゃなく「祝賀会」でしょう。

内省的知能を育む時、内省=反省と意味を捉えている人もいます。「内省」は「自分を知ること」です。なので、内省的知能を育むことは、自分に精通していくことであり、自尊心や自信、自己肯定感を育んでいくのに必要な根幹となるものです。

FPでは、どんな経験が子供たちにとって成長をさせるかを考えて行動しますが、それと同じくらい「振り返り」も大切にしています。「よく頑張った!!」と自分で自分の肩を叩いて労ってあげる。そして、胸を張って誇りに思う自分。

これまでの軌跡を振り返ってみる。

それは、これまでの歩んできた道をしっかりと辿る。

「褒めて育てる」ようなキャッチフレーズで子育てをしていても、子供たちは必要な心は育まれないかもしれません。それは、周りが褒めるのでなく、自分が自身を褒める。自信も自尊心も自己肯定感も、全部「自」のつくものは他人が与えることはできないものです。「自ら」です。

Extraordinary(最高に素晴らしい!)であるということは、どれくらいエクストラなことをしてきたか。どれくらい「普通は..」を突破してきたか。エクストラの経験、エクストラの関わり合い、エクストラの冒険、エクストラの振り返り。

僕ら大人も必要なことばかりです。

冒険は続きます。

子育てを豊かにする教育のお話:「心地よい会話ではない」「決して楽しい会話」ではない

先日のアドベンチャー冒険プログラムの話です。

焚き火の前に長い間座って生徒たちと話をしました。

会話は「心地よい会話」だけではないということ。仲間たちの言葉に気持ちを揺さぶられ、また、その揺さぶられた気持ちをさらけ出すこと。

さらけ出さず隠してしまうのであれば、それは自分の大切にしている価値観とつながる機会、また、より磨いていく機会を失ってしまうことでしょう。

大切なんだと相手に伝えた時、その気持ちはとっても個人的なものです。大切にしてきているものです。相手に伝えながらも自分の耳でその気持ちを聞き、再認識します。「あーやっぱり僕にとって、これは大切なんだ」と。

そして、その大切なものはキャッチフレーズのような言葉として発しているのか、行動を通して自分のかけがえのない価値観として自分を作り上げているものなのか。これから、かけがえのないものとして、引き続き大切にしていきたいのか、それが再び試されます。

その自分の大切にしている価値観というのは、かけがえのないもので、それがなくなると自分でなくなってしまうようなものです。哲学や信念よりも芯のようなコアのようなものです。

「心地よい会話ではない」「決して楽しい会話」ではない、

でも、「かけがえのない会話」でした。

子育てを豊かにする教育のお話「話せば良いのか。離せば良いのか。」

先日ギフティッドサポートグループミーティングでギフティッド教育について話をしました。とっても抽象的です。

ギフティッド教育において目指すべき事や、親が目指すべきこと、子供たちが目指すべきこと。それは、小さな子から、大きい子まで、具体的なことは違いますので、ギフティッドの子育てで必要な概念を参加者にお話しました。

なので、きっと、消化不良でしょう。「実際に何ができるのか」でも、手元のノートには、色々な言葉が残ったはずです。じゃあ、具体的にはどうしたら良いのだろうと。具体的にできることを見極めてアクションを取る必要があります。大切なことをベースに具体的なことを考える種が増えました。

一方で午後は、スライドはほとんど紹介せず、参加者たちの知りたいことや悩みなどの話で、できる限りの具体的なアドバイスをしました。「それが聞けたんでよかったです」「これからやれる事がわかりました」と。

でも、ギフティッドに関して、ギフティッド教育についての話は午前中ほどしていないので、抽象的な言葉というのは頭に残らなかったことでしょう。それより、ノートには具体的にできることが書かれていると思います。もしかしたら、気持ちが晴れたのは、午後かもしれませんが、その具体的なアドバイスが必要な課題などは、もちろん、これからも出続けます。

そういった中で、「感情知性はどうやって育むんですか」という質問を受けました。

まずは、「会話」からでしょう。というのが私の返事でした。それは、親は悩んでいるけど、悩みについて、子供とそこまで課題については話していないということがわかったからです。また、子供の気持ちを聞いていないということがわかりました。結局最後は、「本人と話してみます」と。

快適じゃない会話をするということ。

離せば良いのか。話せば良いのか。」

実際に会っている時間のコミュニケーションは上部だけであり、本音がSNS上などのコミュニケーションと感じている子も少なくありません。いくらSNS上でのマナーやエチケットなどを教えても、守らない人は出てきます。いくら教え続けてもSNS上のトラブルは無くなりません。

また、対応として、違うクラスにする。違う担任になる。周りをいくら変えても、課題が本人にあるのであれば、同じような問題というのは生じます。

それより、子供たちには「あるべき姿を経験させる」必要があります。

「それしか選択肢がないと追い込まれた時、それ以外にも選択肢があると経験上知っていること」

お互いの方を向いて座る。

膝と膝を突き合わせる。

自分の正直な気持ちを伝えることに徹する。

相手の正直な気持ちを受け取ることに徹する。

お互いに、お互いの耳に届くように徹する。

例えば、エクスプロラーの生徒たちも何度も経験してきています。冒険中で生じた気持ち、数日たっても引っかかっていること。自分の中で、消化できない気持ちがある時、相手に伝える必要がある時、直接会って、話すことを選択します。

言葉はしどろもどろ。

目もしっかり見れない。

頭は下がりがち。

声も小さい。

伝えたいことの半分しか伝えられなかった。

でも、お互いの言葉の受け取り方の誤解や、そういった意図ではなかった。そういった意味でもなかった。でも、自分はこう受け取った、お互いに気持ちを見せ合うことの大切さを経験し続けています。僕らがいうVulnerbility です。あるがままの状態を隠さず見せる。

なので、彼らは高校に行っても、大学に行っても、就職してからも、どのようなコミュニケーションが「あるべき姿」なのか経験をしながら学んでいて、きっと仲間たちにとってインスピレーションになるでしょうし、そういうコミュニケーションが必要となった仲間たちにモラルサポートができることでしょう。

また、過去に、嫌な事をされ、馬鹿にされたのであれば、自分がされて嫌だったこと、絶対に周りにはしないということ。本当の強さは、そういった人にはなりたくない。だから、自分は人に優しくすることを「言葉」でいうのではなく、実際にしていくことでしょう。

「昔、やられたから、今、自分がやってもいい」というのは弱さです。

また、「今度、こうされたら、先生に直接話す」「今度、こう言われても、気にしないようにする」

それは、強さではなく、「対応」です。その機会が訪れてみて、その対応ができるか否かわかるような「対応」を考えているだけです。

真の強さは、そういった未来の機会で試されるわけではありません。今、現在です。

今、現在の行動が、嫌な思いをさせられた相手のような同じことをしているのか否か。また、違った選択をして、嫌ではない、人が喜んでくれるようなことをしているのか否か。現在の機会で、「真の強さ」を見られています。

ただ、その道を選ばなかった時、自分を誤魔化すことはできません。

「本当であれば、それをすることが一番なんだけど」とわかっているはずです。一番の怖さは誤魔化している自分を持ち続けることでしょう。

でも、その同じような「機会」は訪れても、「同じ機会」は2度訪れません。

だから、”Taking the high road”

正々堂々は決して、怖くないわけではないでしょう。

正しい行動をするのは、怖くないわけではないでしょう。でも、誇りに思えることでしょう。

子育てを豊かにする教育のお話:「大切なこと」を教えるのではなく、「私たちが大切にしていること」を教える。

ギフティッド教育では、Moment(瞬間)やOpportunity(機会)をとても大切にしています。そして、瞬間や機会というのは、とてもスポンテニアスですので、私たちが色々なことに意識を向けていないと、その瞬間や機会は、私たちの目の前を通り過ぎていくことでしょう。そして、その瞬間や機会は一期一会です。

しかし、それらは、何の瞬間なのでしょうか。何の機会なのでしょうか。それは、大人と子供が、それぞれの価値観を共有し合ったり、教える瞬間であったり、学びの機会です。
「大切なこと」を教えるのではなく、「私たちが大切にしていること」を教える。

まずは、「私たち」だから、「一般的な」話しはしていないということ。そして、「している」という現在進行にあるということ。これまでも、そして、これからも。

例えば、「チャレンジは大切」と言うのと、「私たちが大切にしていることは、チャレンジすること」というのは子供にとって大きく意味が違います。

本当に大切なことは言葉では伝えきれません。背中を見せて伝えなくてはなりません。

例えば、大人が「正直に話すことは大切」と言うのと、
「私たちが大切にしていることは、正直に話すこと」と言うのでは子供にとって大きく印象が違います。

「大切にしている」それはアクションであり、そして、それをみんなが実践していかなければなりません。子供も大人も。

「一般的に」考えてではなく、主語がはっきりしているということ。自分が存在するコミュニティーの中で、自分は何を大切にして、何を実践したいか。大人も子供も。

Teachable moment – 教えの瞬間
例えば、授業の途中、遠足の途中、修学旅行の途中などなど、何もかもストップして、教えたいことや伝えたいこと。想定外のハプニングも「教える機会」にすることができます。

これは、先生から生徒だけではなく、誰にとっても「教える機会」ですので、生徒が、「みんな、ちょっと待って!はい、ここで教える機会!」と何かを教える機会を持つのも良いです。こういった時、生徒たちは、自分の興味のあることを伝えることもできるんです。

先生によっては、「教える機会」というものは、なかなかクラスの中では説明しきれないものや、見られないものを教える機会かもしれません。また、他の先生によっては、見たことや、経験した事によって生じた気持ちがあり、その先生が生徒たちに知ってもらいたい大切な価値かもしれません。

Learning Opportunity – 学ぶ機会
私たち大人から見ると、子供たちは効率が悪いかもしれません。最適な方法で物事を進めていないかもしれません。また、段取りが悪いかもしれません。当たり前ですよね。成長過程中なわけですから。

だからといって、私たちが知っている最適な方法や、段取りを、教えることが必ずしも良いわけではありません。

そればっかりだと、子どもが何か壁にあたった時、問題解決方法は、まず自分で考えることではなく、「お父さんに聞く」となるかもしれません。

私たちが手や口を出さないとどうなるか。奇抜なアイデアを持っているギフティッドの多くは、私たちが最適、または効率が良いと思っている以上のやり方を発見し、私たちに教えてくれることでしょう。

大切なのは、子供たちが試行錯誤し、練習を重ねた上で習得していくことです。子供たちが学ばなくてはならないのは、自分たちの経験から学ぶことの大切さです。
AHA モーメント自分たちで取り組んでいると、たくさんのAHAモーメントがあるでしょう。「そうなんだ!」「そうだったんだ!」と「なるほど」と気がつく瞬間です。

私たちは口を出さす、手を出さず、見守ります。子供たちは私たちが思うやり方ではなく、自分たちが考えるやり方で、やってみること。

子育てを豊かにする教育のお話:「期待を手放せ」

結論:自分の取り扱い説明書は自分で書いて自分が読むもの。

Expectationsというのは、確かに「期待」という訳になりますが

「こうあるべきだ」「こうなるだろう」という、

「物事の状況が自分の願い通りになっていくだろう」という思いです。

きっとよくあるのが学校に対しての「期待」があります。

「学校はこうあるべきだ」

「先生はこうあるべきだ」という期待が高ければ、

「学校は変わらない。」

「やっぱり公立の先生って、こうなんですね」と言う言葉を聞きます。

でも、それでは、目の前の子どものニーズにはなかなか柔軟に対応することはできないでしょう。まず、物事を受けれていないので、建設的になれないです。

また、子どもに対しても、

「自分で決めたんだから」

「自分が言ったんだから」と

決めたら、手離しで自主的、または、主体的にやっていくだろうという「期待」です。

「決めたら=できる」ではなく、「決めたら=必要なサポートの上、取り組みはじめる」です。

「担任の先生が自分の子どもを理解したら、子どもの学校生活が上手くいく」という思いがあるとしたら、それは、「期待」でしょう。本来であれば、先生ではなく、子ども本人が自身を知っていくことで、自分とのコミュニケーションが上手になり、色々な場所で、色々な人たちとの活動が上手くいくからです。

よく「ウチの子の取扱い説明書が欲しいです」と話される人がいますが、それも、「取扱い説明書があれば、悩みは消える」という「期待」でしょう。

目的はなんでしょうか。親の悩みが解消されることなのか。それとも、子どもたち自身が自分と上手に付き合えることなのでしょうか。

「期待を手放せ」というのは、結果に対しての期待。あるべき姿への期待です。

自分の思った通りになったらという期待です。

でも、私は期待は持った方が良いと思っています。

でも、それは、「自分への高い期待」「大きな期待」

自分は、「ココロミルことができるという高い期待」です。

「まだまだ成長過程中でこれからこれから」という自分の成長への大きな期待です。

「感情に左右されるだけの泥沼の人生から抜け出し、最高の自分の最高の力を

引き出そう。そうした人生を毎日送れるような環境をつくろう。」

What to do when you don’t know what to do 

「お主、何をして良いかわからない時、何をするのじゃ?」

このスローガン、壁に貼っておいてください。

子育てを豊かにする教育のお話:「心がやる気になるのを待っていてはいけない」

「心が完璧に整うのを待っていたら、いつまでたっても何も始められない」

2012年、帰国まもない頃、ギフティッドのカンファレンスを開催したいと相談したら、

とにかく枠を聞かせられました。とにかく限界を聞かせられました。

「日本ではね…」と、あるべき姿を見せられます。

不安はたくさんありました。

でも、心の中で何度言ったことでしょう。

「それは、あなたの枠であって私の枠ではない」

「それは、あなたの限界であって私の限界ではない」

「日本ではね..」というのは、私には通用しない。

でも、最後は、相談相手に感謝。自分のために時間をとってくれたこと。

そして、わけのわからない話を聞いてくれたことにとっても感謝です。

「心がやる気になるのを待っていてはいけない」

行動せずにいると、疑念や恐怖が生まれる。行動すれば自信と勇気が生まれる。恐怖を克服したいなら、家でじっと考えるだけではいけない。外へ出て忙しく過ごさなくてはならない。

デール カーネギー

やみくもに相談すれば良いというわけではないということです。

「自分は思考ではなく行動だ」

「ただ踏み出そう。」

まだまだ、僕らは成長過程中です!

子育てを豊かにする教育のお話:「山を動かすことはできない。動かすのは自分の気持ち」感情知性を発揮する瞬間

「好き嫌いが激しく、やりたくないことはやりたくないタイプなんです。」これは縛ってしまう言葉です。未来の機会を狭める言葉です。

「チャレンジだからやってみる。」

「やってみたことがないから、やってみる。」

「一緒にやってみる。」

もし、山に圧倒されているのであれば、山に圧倒されているわけではなく、山を見て生じた「自分の気持ち」に圧倒されています。

目の前のある山をどうすることもできない。

山は動きません。ゴツゴツした岩肌に圧倒されているわけではないです。

それを見て、生じた自分の気持ちに圧倒されています。

長いコースタイムに圧倒されているわけではないです。

それを考えて、生じた自分の気持ちに圧倒されています。

「山を動かすことはできない。動かすのは自分の気持ち」

Hirosopher

山は動かすことはできない。目の前にそびえ立つのみ。しかし、生じた気持ちを動かすことはできます。感情知性です。

実は、「山」のように見える「機会」は身近にあります。

そして、その圧倒されている外的要素は変えることはできません。そして、動かすことができないものを動かそうとして、「windows of opportunity – 機会の窓」が閉まってしまうことでしょう。そしてその機会の窓は2度開かないかもしれません。

FPのココロミルとは、

「ココロミルとは、物事を試して、そこで感じた気持ちを知る。心を見る。その物事を知るわけではなく、自分のことを知ること。」

FP哲学

FPの生徒たちは、「ココロミル」ことにコミットしています。

どんな山、そして「山」も乗り越える彼らがいます。

そして、その横には同じように頑張っている仲間たちがいます。

Feelosopher’s Pathの生徒たちは山を動かそうとはしません。

自分の心を動かし、山の頂きに仲間たちと立ちます。

GO FEELOSOPHERS!