子育てを豊かにする教育のお話:大人の「これまで」で、子どもの「これから」を邪魔しない。

結論:大人のこれまでのプチ体験で子供のこれからの人生の経験を邪魔しない。

「人生の素晴らしいことは快適ゾーンの外で起きている」という言葉があります。

言葉を聞いて理解することと、経験して冷や汗をかいて身に染みさせていくことは違います。

多くの場合は、言葉を想像し、経験をせずに、わかっている気になっています。

わかることが目的ではありません。価値にしていくことです。

子どもたちが成長して、大きくなっても、手をひいて、アクションをとらない子どもに、快適ゾーンの大切さを伝え続けたいのか。

それとも、手を離し、快適ゾーンの外に出る経験をさせ続け、彼ら自身が人生において「快適ゾーンの外に出る」この大切さを自分を作る価値にして自身を押し出していく推進力にしていくのか。

大人の「これまで」で、子どもの「これから」を邪魔しない。

プチ体験は経験でない。プチ体験のアドバイスは迷惑なものです。

「できないと思うよ」

「無理だと思うよ」

「大人でも大変だよ」

それは、全部、プチ体験からの言葉。

本当に経験しようとする子たちにはそういった言葉は必要ないです。

それより、チャレンジしていく子どもたちを応援してください。

その方が気持ちがいいでしょう。

子育てを豊かにする教育のお話:PLAN BはPLAN Aよりエキサイティングにすべし

結論:最初の計画がダメになった時は、それに変わる計画は、当初の計画と似てもにつかないエキサイティングなものにする。

2020年、コロナでアメリカでサマーキャンプを開催することができませんでした。その代わりに中山道526kmを3週間で野宿をしながら踏破しました。

2021年の夏もアメリカでサマーキャンプを開催することができませんでした。

でも、「レモンをレモネードに変えること」にコミット!

成長過程中の7名がいました。今年は、Way Findersとして彼らにチャレンジしました。

FP Way Finders 舞台は東海道五十三次492キロです。

究極のセルフサイエンス「自己を科学する」機会でした。

自分の中の普段見えている景色を見ながらも、まだ見えていない「自分への景色」も見られる機会でした。

7名の生徒たちはその「自分への景色」に魅了されていました。

3週間という期間を仲間たちと東海道を野宿しながら歩むのは一生に一度の経験でしょう。歩んだものしかわからない経験でしょう。汗、冷や汗、鼻水と鼻血、そして涙。出てくるのは、まだまだあります。普段の甘え、普段の周りや自分との関わり方など、そして、まだ足を踏み入れていない新しい「自分の成長の領域」が出てきます。

今回のグループが安全にゴールできたのは、安全を作りながら歩み続けたらからです。

「ラッキーだったから」と決して運が良かったからではありません。

「自分を知ることはお祝い」

肯定的じゃない自分、課題がある自分を知ることも含めて、素敵な自分を知ることは何よりも素晴らしいこと。

子供たちは、自己肯定感を高める、自信を持たせる「自分」をよく知りません。自分を知らないから、なかなか自分で育んでいけない。自分を知ることは、自身で、大きな自己肯定感を高めたり、自尊心を育んでいくことができます。

しかし、普段、どれくらいの意識を自分に向けているでしょうか。普段、どれくらい自分の成長に目を向けているでしょうか。普段、どれくらい、「なりたい自分」を目指しているでしょうか。

勉強など、自分以外に目を向け、自分以外のことを学び続けていると、内省的知能は育まれません。自分に関して以外の知識が増えていく一方で、自分に関してはあまり知らないという子は多くありません。もちろん、勉強も大切ですが、それ以上に、自分の成長に目を向け、挑み、自分について学ぶことは、子供時代から育んでいく必要があります。それは、勉強も含め、社交面や、感情面での成長に大きく影響があるからです。

東海道はWay Findersが唯一無二の経験をする最高なステージ

ステージ1「まずは100キロ」

普段はあまりみない足の箇所。まずは、そこからの痛みに耐えながらの100キロです。毎日変化していく水ぶくれやマメに目を向けました。

100キロを超えたら、水膨れも潰れたり、自然に治ったり、体が痛みに慣れていきます。また、野宿にも慣れ、道端に座って食事することにも慣れていきます。痛みに慣れるのに200キロかかった生徒もいました。

この最初の数日間で出てくるのは、無意識な普段の自分たちの態度でした。普段、自分と周りとどう関わっているか。良い関わり方ができている生徒もいれば、そうでない生徒もいました。

ステージ2「普段の自分とつながる」

100キロ超えた後くらいから、体の痛みにも慣れ、歩きながら、普段の生活や、学校生活、抱えている悩み、そういった内容の会話が徐々に増えていきました。

すでに1日30キロ歩くことはチャレンジではなくなってきました。

仲間達だから、さらけ出せる自分。仲間達同志で意見がぶつかったり、気持ちがぶつかっていても、実際には、相手とではなく、自分自身とぶつかっている場合がほとんどです。自分の課題とぶつかっている。その自分とぶつかることを仲間達を通してすることができる素晴らしさがありました。

ステージ3「未知なる自分の領域へのチャレンジ」

リーダーシッププログラムの開始です。バタフライチャレンジ!生徒たち2人が選ばれ、グループをリードしていきます。全責任はその二人に委ねられます。リーダーシッププログラムを通して、セルフサイエンス(自己科学)ができるように、リーダーやリーダーシップがどういったものかという議論します。

生徒たちのリーダーやリーダシップに関しての知識はまだ少なく、「今日は僕がリーダーで、明日は君」のような役回りで回ってくるようなリーダーの話をしていました。単に「決める権限を持っているだけのリーダー」です。基本的にはスケジュールなどを決めていくだけの役です。

信念や信条は決定していくことに反映されておらず、また、考え抜いてもいないので、思いつきや、考えついた事をグループに伝えているから、他の生徒たちの思いつきや考えで覆されることが多々ありました。ほとんどのリーダー達が「考え抜いていません」でした。また、リーダーたちからは、責任を他の誰かに委ねたい思いが見え隠れしていました。

リーダーたちが他の仲間達と同じ景色を見てしまっています。だから、常に「決めるだけ」の役回りになっている。例えば、コンビニに到着したら、邪魔にならないようにバッグが置けるところを見にいったり、野宿スポットであれば、その公園の中でもベストな場所を見つけに偵察にいったり、小さなことではありますが、リーダーは2倍も3倍も汗をかかなくてはなりません。同じ景色をみていてはならない。目指す景色を見せる必要があります。

安全に30キロ歩くことは簡単なことではありません。休憩時間、ランドリー、銭湯、天気、各生徒たちの体調、交通状態、道の状態、優先順位が変わるだけで、その日に大きく影響が出ます。まず、驚くかもしれませんが、道を渡ることができません。左右確認だけではダメです。前方からの右折、後方からの左折。グループの前と後の距離、交通状況を瞬時に判断し、ドライバーに合図を送って、道を安全に渡りますが、一人で渡るのと、グループで渡るのは、決して同じではありません。

「パニッくったら、判断ができないことがわかった」とある生徒が振り返りのミーティーングで話しました。

グループが安心できない状況ににいる時、私の喝が何度か入ります。

「自転車!」「歩行者」「一列!」と伝言ゲームのようにグループみんなで声を出しますが、これは、決して自分たちが怪我をしないようにではなく、自転車の人たち、歩行者の人たちが、私たちや、私たちが背負うバッグに当たって怪我をしないように声を出し続けます。

本当のバタフライチャレンジは1回目ではなく、2回目です。

1回目で、自分の現状を自分で知り、できることばかりではなく、できていないことも受け入れる。そして、大切なのは、「まだ、できていなくても良い」そもそも経験不足なのですから、備わっていないものばかりです。意識だって芽生えていません。周りから建設的なアドバイスをもらい、2日目に挑戦です。見えたのは、リーダー達の改善点へのコミットメント。これだけでも大きく動きが変わりました。

でも、どのリーダーからも「仲間達の命を守りたいという強い思い」が伝わってきませんでした。

バタフライチャレンジが終わった時、どのペアも、喜びの大きなハイタッチの音が聞こえてこない。

仲間達にはない、リーダー二人だけの喜びや空気感がない。

バタフライチャレンジは、生徒たちは経験したことがないレベルで、自分を見つめることができる。

リーダーとしての自分だけではなく、「素の自分」です。

とにかくバタフライチャレンジはきついです。忍耐と体力が必要となります。

実際に大変なのは、リーダーの二人ではなく、率いられている仲間たち。仲間達も必要な助言以外はリーダーに任せる。基本、私も口出しはしないものの、グループに負荷がかかりすぎてしまう前に、助言をしなくてはなりません。日程が変わったり、グループの健康状態に影響が出たり、踏破できないのであれば、本末転倒です。

今回の冒険の最大で最高のご褒美が17日のコミュニティーで箱根の旧東海道を歩く10キロでした。

これは、私の中でも想定外の成長の機会となりました。

参加者の名簿はないので、生徒たちも何名、どんな人たちが参加するか伝えることができませんでした。

当日は、多くの保護者の方々も参加して頂き、低学年のFPの生徒たちや兄弟たちも参加してくれました。

リーダーに選ばれた2人を中心に、これまでのバタフライチャレンジの様子で、お互いの適材適所を決めて17日に挑みました。みんなが声が出ています。参加者にどんな日にしたいかを伝え、啓がそれを分かり易い声でエコーします。一人の生徒は真ん中に陣取って前後の声を拾い上げて伝え続けます。もう一人は、水が足りなくならないように4Lの水を持ちながら、列を前後します。もう一人はスイーパーに徹して、後方のグループの安全を守ります。そして最後の一人は足の怪我をしましたが、途中から復帰し、列を前後し、スタッフのバランスを確認し続けます。危ない箇所は、子供たちの手をにぎり、体を呈して守ります。

実際に道を歩いてみると、石畳の箇所ばかりでばなく、歩道のない国道を歩かなければなりませんでしたし、何度も道も渡る必要がありました。

7名みんながリーダーでした。

「みんなの命を守りたい」という気持ちが声に乗っていました。安心安全を単なるキャッチフレーズのように使うのではなく、心から「参加者の安全、自分たちの安全を守りたい」という声でした。彼らの信念、ボイスが育まれていく瞬間でした。

箱根湯本に到着した時、赤い橋の上で、みんなのハイタッチの音が聞こえてきました!みんなを守り抜いて、カッコよくて、自分たちを誇りに思う瞬間でした。みんなが輝いていました。「それだよそれ!」

ステージ4:振り返りとお祝い

まだまだスキルを磨いている生徒、ソロの振り返りの時間に日記に、気持ちや考えが忘れないようにCapture the moment (瞬間を捉える)にエネルギーを注いでいる生徒、最後の4日間は毎日歩く距離を20キロに落としたので、距離的には楽ですが、苦しい20キロの4日間でした。梅雨も明け、日中は到底外を歩けない気温でした。今までずっと30キロ以上を歩いてきて生徒たちにとっては、まったく問題もない距離です。しかし、長い休憩を入れることによって、疲れが出始めました。その中で、まだまだ「今の自分」と向き合わなくてはならない生徒たち。みんなで、WAY FINDERSへの思い、惜しみなく振り返りました。何度もこの道中をハイライトすることで、記憶から薄くなっても、気持ちには刻まれていきます。

1日30キロ歩きながら、

ゴキブリも出るような寝床で野宿しながら、

お互いの健康を労りながら、

銭湯に入って汗を流しながら、

湖を背に、涙を流して、気持ちを吐露しながら、

知らない人たちから差し入れを頂きながら、

ヒルと格闘しながら、

野宿はロマン

ドキドキしながら野宿。橋の下から始まった野宿。今回はどの物件も最高!コンビニ近、トイレあり、銭湯近、レイクビュー、夜景、星空が見えるスポット、テーブル、椅子設置済み、部屋だと南向きや北向きがありますが、私たちにとっては、風向きが良い物件の条件の一つ!また、ゴキブリのルームメイトもいたり、最高な野宿でした。特に、芦ノ湖に2泊した時の夕焼け、そして、芦ノ湖からみる富士山は今でも目に焼きついています。

そして、

7月21日、14:00 ゴールまで残り8キロまで来ました。

品川宿の辺りで最後のみんなへの課題です。

「Way Findersとは?」をみんなで定義をする

「自分の小さな強さに気づいた」

「気づいているけど目を背けている自分」

「どんな人になりたいかを忘れていた」

「笑顔でいたい。堂々としていたい」

「普段の自分がおかしくなっている」

「やっていることより、あきらめていることの方が多い」

「あまりいいところがみつからない」

「信念がなかった。耳を傾けていなかったのか、そもそもないのか」

「なんとかしてない。なんとかなるさで生活してしまっている」

「聞けない。聞き方を忘れてしまっている。それは悲しいことだと思う」

「自分に違和感がある。冒険に出てみてやっときがついた」

「どんな日にしたいかやっときがつけた」

「この15年間良かった!」

「人生の振り返りができた」

「15年間ずっと頑張ってきた。でも、自分をほめたことがなかった。褒められたこともなかった」

「俺15年間頑張ってきたんだ。区切りをつけることができた」

「自分を褒めるのはまだ難しい。まだやり方わからないけど、自分が歩んできたから。

「どんだけ頑張ってきたか知っている」

「共感できる奴がいないと思っていたけど、共感できる奴いるじゃん。俺がいるじゃん!」

「生きてるからこそ感じる大きな穴。充実した時にしか感じられないもの、これは何だろうと改めて感じた」

真摯に親身に向き合う仲間達。

話がまとまらなかったので、私がみんなに聞いたのは、

「何を一番しただろうか。」

WAY FINDERSとは、「考え抜いて、「今までの自分とこれからの自分」に辿り着く人たち」だそうです。

このカッコの中には色々な言葉が入りました。でも、7人が出した言葉です。とっても抽象的ですが、

具体的な冒険話は各自によって違います。

そして、FINISH STRONGへ

ゴール手前8キロ。ゴール予定時刻まで2時間半。

ミーティングが少し長くなってしまいました。

コースタイムでは十分に間に合う時間ですが、なにせ10キロ以上の荷物を背負い、休憩を取りながらでないと熱中症になる暑さです。

7月1日に三条大橋を出た7人のWAY FIDNERSは、7月21日17:00 に

皆さんが準備してくださったゴールテープを無事に切りました。

皆さんの応援で、WAY FINDERSのみんなは、人生で2度ないかけがえのない冒険に出ることができました。

不安な日々も過ごされたかと思いますが、7名が安全にゴールできたこと、本当に嬉しく思います。子供たちはコミュニティーで育ちます。コミュニティーの持つ偉大なエネルギーに感動いたしました。

冒険は続きます。

子育てを豊かにする教育のお話:振り返りはお祝いです。

結論:「褒めて育てる」ようなキャッチフレーズで子育てをしていても、子供たちは必要な心は育まれません。周りが褒めるのでなく、自分が自身を褒める。自信も自尊心も自己肯定感も、全部「自」のつくものは他人が与えることはできないものです。「自ら」です。

Reflection is Celebration 

振り返りはお祝いです。

「振り返りしましょう」というのは、「お祝いしましょう」ということです。だって、大変な道を歩んできたわけですから。取り組んできたわけですから。

なので、振り返ることがなければ、取り組んでいることもないかもしれません。

そして、取り組んでいないのであれば、自分のことを知ることもないかもしれません。

でも、本当のお祝いの意味は「自分のことを知る」ということです。「自分のことを知る」ことはこの上ない最高な自分へのご褒美です。それは、「成長過程中」で見ることができる自分です。

日本の教育は「子供たちにとってどんな経験が良いか」を考えます。

でも、「子供たちの成長にどんな振り返りが必要か」はあまり考えません。なので、実際に良い経験をしている子供でも、自信や自尊心が育まれていない場合があります。

それは、良い経験の垂れ流し状態です。

もったいないです。

良い経験のために準備した時間、取り組んだエネルギーくらいに、振り返りの時間やエネルギーにも費やす必要があります。良い経験は良い振り返りによって成長に変わります。だって、成功体験も失敗体験も成長体験なんですから。

子供たちが必要なのは成功体験の連続ではなく、成長体験、成長過程中という過程です。

でも、教育現場では、そんな「振り返り」も大抵の場合は「感想文」で終わってしまいます。それは、子供たちに同じ経験をさせて、同じアウトプットです。

FPの生徒は色々な経験をしています。みんな、感じ方も違います。表現の仕方も違います。

でも、

「振り返り」の意味がよくわからない」

「振り返りの仕方がよくわかない」

「集大成のチャレンジ」をしてみましょう。

何をもってお祝いとするのかが各自それぞれです。

今年のチャレンジの集大成を考え、大きなチャレンジをすることもお祝いでしょう。これまでの取り組みなどを魅せることができます。

例えば、赤岳に登るのに取り組んできた生徒たちは赤岳に登る機会というのは、チャレンジでもあり、これまでの取り組みを魅せることができるお祝いでもあるわけです。

「お祝い作品を制作する」をしてみましょう。

また、何か形に残しながら振り返ることもお祝いです。

物語を書いてもいいでしょう。写真をプリントアウトして、コラージュを作ってもいいでしょう。その時、今まで使ったことのない素材で形にするのが良いでしょう。

「物事に取り組んできて、成長を感じる時に、最後、どんな気持ちになっていたいですか。」

チャレンジした後、「反省会」という言葉が聞こえてきたことがあります。確かにチャレンジ中に感じたことだってあるだろうし、改善点だって見えたはずです。でも、まずは、反省会じゃなく「祝賀会」でしょう。

内省的知能を育む時、内省=反省と意味を捉えている人もいます。「内省」は「自分を知ること」です。なので、内省的知能を育むことは、自分に精通していくことであり、自尊心や自信、自己肯定感を育んでいくのに必要な根幹となるものです。

FPでは、どんな経験が子供たちにとって成長をさせるかを考えて行動しますが、それと同じくらい「振り返り」も大切にしています。「よく頑張った!!」と自分で自分の肩を叩いて労ってあげる。そして、胸を張って誇りに思う自分。

これまでの軌跡を振り返ってみる。

それは、これまでの歩んできた道をしっかりと辿る。

「褒めて育てる」ようなキャッチフレーズで子育てをしていても、子供たちは必要な心は育まれないかもしれません。それは、周りが褒めるのでなく、自分が自身を褒める。自信も自尊心も自己肯定感も、全部「自」のつくものは他人が与えることはできないものです。「自ら」です。

Extraordinary(最高に素晴らしい!)であるということは、どれくらいエクストラなことをしてきたか。どれくらい「普通は..」を突破してきたか。エクストラの経験、エクストラの関わり合い、エクストラの冒険、エクストラの振り返り。

僕ら大人も必要なことばかりです。

冒険は続きます。

子育てを豊かにする教育のお話:「心地よい会話ではない」「決して楽しい会話」ではない

先日のアドベンチャー冒険プログラムの話です。

焚き火の前に長い間座って生徒たちと話をしました。

会話は「心地よい会話」だけではないということ。仲間たちの言葉に気持ちを揺さぶられ、また、その揺さぶられた気持ちをさらけ出すこと。

さらけ出さず隠してしまうのであれば、それは自分の大切にしている価値観とつながる機会、また、より磨いていく機会を失ってしまうことでしょう。

大切なんだと相手に伝えた時、その気持ちはとっても個人的なものです。大切にしてきているものです。相手に伝えながらも自分の耳でその気持ちを聞き、再認識します。「あーやっぱり僕にとって、これは大切なんだ」と。

そして、その大切なものはキャッチフレーズのような言葉として発しているのか、行動を通して自分のかけがえのない価値観として自分を作り上げているものなのか。これから、かけがえのないものとして、引き続き大切にしていきたいのか、それが再び試されます。

その自分の大切にしている価値観というのは、かけがえのないもので、それがなくなると自分でなくなってしまうようなものです。哲学や信念よりも芯のようなコアのようなものです。

「心地よい会話ではない」「決して楽しい会話」ではない、

でも、「かけがえのない会話」でした。

子育てを豊かにする教育のお話「話せば良いのか。離せば良いのか。」

先日ギフティッドサポートグループミーティングでギフティッド教育について話をしました。とっても抽象的です。

ギフティッド教育において目指すべき事や、親が目指すべきこと、子供たちが目指すべきこと。それは、小さな子から、大きい子まで、具体的なことは違いますので、ギフティッドの子育てで必要な概念を参加者にお話しました。

なので、きっと、消化不良でしょう。「実際に何ができるのか」でも、手元のノートには、色々な言葉が残ったはずです。じゃあ、具体的にはどうしたら良いのだろうと。具体的にできることを見極めてアクションを取る必要があります。大切なことをベースに具体的なことを考える種が増えました。

一方で午後は、スライドはほとんど紹介せず、参加者たちの知りたいことや悩みなどの話で、できる限りの具体的なアドバイスをしました。「それが聞けたんでよかったです」「これからやれる事がわかりました」と。

でも、ギフティッドに関して、ギフティッド教育についての話は午前中ほどしていないので、抽象的な言葉というのは頭に残らなかったことでしょう。それより、ノートには具体的にできることが書かれていると思います。もしかしたら、気持ちが晴れたのは、午後かもしれませんが、その具体的なアドバイスが必要な課題などは、もちろん、これからも出続けます。

そういった中で、「感情知性はどうやって育むんですか」という質問を受けました。

まずは、「会話」からでしょう。というのが私の返事でした。それは、親は悩んでいるけど、悩みについて、子供とそこまで課題については話していないということがわかったからです。また、子供の気持ちを聞いていないということがわかりました。結局最後は、「本人と話してみます」と。

快適じゃない会話をするということ。

離せば良いのか。話せば良いのか。」

実際に会っている時間のコミュニケーションは上部だけであり、本音がSNS上などのコミュニケーションと感じている子も少なくありません。いくらSNS上でのマナーやエチケットなどを教えても、守らない人は出てきます。いくら教え続けてもSNS上のトラブルは無くなりません。

また、対応として、違うクラスにする。違う担任になる。周りをいくら変えても、課題が本人にあるのであれば、同じような問題というのは生じます。

それより、子供たちには「あるべき姿を経験させる」必要があります。

「それしか選択肢がないと追い込まれた時、それ以外にも選択肢があると経験上知っていること」

お互いの方を向いて座る。

膝と膝を突き合わせる。

自分の正直な気持ちを伝えることに徹する。

相手の正直な気持ちを受け取ることに徹する。

お互いに、お互いの耳に届くように徹する。

例えば、エクスプロラーの生徒たちも何度も経験してきています。冒険中で生じた気持ち、数日たっても引っかかっていること。自分の中で、消化できない気持ちがある時、相手に伝える必要がある時、直接会って、話すことを選択します。

言葉はしどろもどろ。

目もしっかり見れない。

頭は下がりがち。

声も小さい。

伝えたいことの半分しか伝えられなかった。

でも、お互いの言葉の受け取り方の誤解や、そういった意図ではなかった。そういった意味でもなかった。でも、自分はこう受け取った、お互いに気持ちを見せ合うことの大切さを経験し続けています。僕らがいうVulnerbility です。あるがままの状態を隠さず見せる。

なので、彼らは高校に行っても、大学に行っても、就職してからも、どのようなコミュニケーションが「あるべき姿」なのか経験をしながら学んでいて、きっと仲間たちにとってインスピレーションになるでしょうし、そういうコミュニケーションが必要となった仲間たちにモラルサポートができることでしょう。

また、過去に、嫌な事をされ、馬鹿にされたのであれば、自分がされて嫌だったこと、絶対に周りにはしないということ。本当の強さは、そういった人にはなりたくない。だから、自分は人に優しくすることを「言葉」でいうのではなく、実際にしていくことでしょう。

「昔、やられたから、今、自分がやってもいい」というのは弱さです。

また、「今度、こうされたら、先生に直接話す」「今度、こう言われても、気にしないようにする」

それは、強さではなく、「対応」です。その機会が訪れてみて、その対応ができるか否かわかるような「対応」を考えているだけです。

真の強さは、そういった未来の機会で試されるわけではありません。今、現在です。

今、現在の行動が、嫌な思いをさせられた相手のような同じことをしているのか否か。また、違った選択をして、嫌ではない、人が喜んでくれるようなことをしているのか否か。現在の機会で、「真の強さ」を見られています。

ただ、その道を選ばなかった時、自分を誤魔化すことはできません。

「本当であれば、それをすることが一番なんだけど」とわかっているはずです。一番の怖さは誤魔化している自分を持ち続けることでしょう。

でも、その同じような「機会」は訪れても、「同じ機会」は2度訪れません。

だから、”Taking the high road”

正々堂々は決して、怖くないわけではないでしょう。

正しい行動をするのは、怖くないわけではないでしょう。でも、誇りに思えることでしょう。

ギフティッド教育:ギフティッドチルドレンはEXTRAORDINARY!

もし、日本で、彼らをグレーゾーンとみなす大人がいたら、何人の大人が、彼らはThrivingゾーンにいなくてはならないことを知っているでしょうか。

ギフティッドは教育ラベル必ず議論になるのが、「ギフティッドの教育ラベルを貼る必要があるか否か。」また、「ギフティッドに代わる言葉はないか。」などです。そういった中で、Extraordinaryという言葉を使う教育者もいます。

“Gifted children are extraordinary”と。

extraordinaryを辞書で調べると、こんな意味があります。
extraordinary【意味】異常な、風変わりな

しかし、extraordinaryは褒め言葉に使います。物事にも、人にも使用します。

– Your work is extraordinary  君の作品は素晴らしい。

– She is an extraordinary actor 彼女は素晴らしい女優だ。

そして、この3つは、褒め言葉に使用されます。

extraordinary 並み外れた、目を見張るもの

outstanding 素晴らしい

exceptional  格別な、並外れた


「ギフティッドはExtraordinary」と説明した場合、「ギフティッドは素晴らしい」と言っているわけではありません。ほとんどのギフティッドの子供たちは真逆の意見を持っているかもしれません。「ギフティッドは大変」「ギフティッドはしんどい」でしょう。


しかし、本人たちが望むのであれば、ギフティッドの子供たちはExtraordinaryになれる可能性、また、Extraordinaryな創造をする可能性を秘めています。

その可能性を引き出すためには、EXTRAが必要な子供たちです。

ギフティッドは、何でもエクストラが必要です!!!

エクストラのチャレンジが必要

エクストラのサポートが必要

エクストラの関わり合いが必要

エクストラの成長の機会が必要

エクストラの存在場所が必要

エクストラのメンターが必要です。

みなさんの子供や生徒は、エクストラで何が必要ですか?
今年度は、このEXTRAに何が必要かをどんどん提供してみませんか? GO BIG!!!
しかし、気をつけてください。ギフティッドの子供たちが口を揃えていうのは、「要らないのはエクストラの宿題とエクストラの期待」

多くのギフティッドの子供たちを育ててきましたが、多種多様な魅力満載の子供たちです。しかし、よく似ているところがあります。それは、彼らの状態です。大きく分けると二つです。

Thrive or Survive (力強く育っている vs 生き残ろうとしている)
ギフティッドの生徒たちが目指すべき状態は Thrivingの状態です。Thriving とは成長の機会を自ら探し、快適ゾーンの外へ自分を押し出し、失敗も成功も成長体験として、自分を認め、成長している状態です。

Thrivingしている生徒目がキラキラして、額にはうっすら汗が流れている。アイデアが溢れ出ている。何かプロジェクトを始めている。ホームセンターのおじさんが聞いたこともないようなアイデアを形にしたいと、アイデアを説明している。はじめての….というのにチャレンジしている。快適ゾーンの外に出ていく。そう、Thriving。誰も止められない。 

Survivingしている生徒目が死んでいるかもしれない。騙し騙しで学校に行っている状態。個性の爆発ではなく、個性を押し殺している。自分を表現できなくなる。浮かないように自分を騙しながら、学校に行っている。

学校で驚きはなく、繰り返しかもしれない。周りが何とか学びの灯火が消えないように知的好奇心を満たそうとしている。Surviving。チャレンジされないまま、年をとっている。学校をSurviveした後には、何が待っているのであろうか?


GO BIG or GO HOME 派手に大胆にいきましょう!Survivingの状態に居続けるのか。また、 Thrivingの状態に進んでいくのか。もし、 周りに合わせ、自分を押し殺してSurvivingの状態でいるのであれば多くのギフティッドの子供たちは、騙し騙し学校に通っていることでしょう。

学校を騙し騙し乗り切った後には、何が待っているのでしょうか。そうであれば、早い段階で GO BIG!!! 目の前にいるギフティッドの子供に必要な教育を創造していきましょう。


ギフティッド教育の教育者たちはが口を揃えていう言葉が2つあります。
1. “Meet their needs”「必要な事に応える」
ギフティッドが必要としていることは何だろうか。それは個々によって違うが、
ギフティッドの多くの生徒が必要なのはアカデミックなチャレンジではありません。彼らが必要としているのは、感情知性を育んでいくことです。

ソーシャルエモーショナルスキルを磨いていくことです。それが、ギフティッドの多くが持ち備えている特徴を諸刃の剣として、磨いていくことができます。

自信と自尊心を持つ自分本人がどんな人なのかを経験を通して知ることです。気持ちに圧倒されるのか、圧倒的なエネルギーに変えるかです。


2 “It’s all about finding his/her right fit – 最適な場所を見つける” ギフティッド教育がないからと嘆く必要はありません。

ギフティッド教育はピンキリです。

ギフティッドという名前がついていても、自分の子供に挑んでくれるかは別問題です。そして、この日本にはギフティッドという名前はついていなくても、ギフティッドの子供たちに挑める教育環境やカリキュラムがあります。

そして、そういった場所で、同じレベルで色々な物事を議論できる仲間がいるか否か。賢くても、いじめに合わないか。一つの才能を伸ばす、英才教育でなく、素晴らしい人として大きく育つコミュニティーに存在しているか。とても大切です。


私たちが一番の応援者です。今日からGO BIG!時に、私たち大人は決めつけてしまう「結局、日本の社会で生きていくから」しかし、本当にそうでしょうか。日本から出て、世界で生きていくかもしれません。しかし、日本で生きていくからという理由で育ててしまったら、世界には目が向かないかもしれませんよね。


私たちは、ギフティッドの子供たちに、窓に映り込む自分の姿ばかりではなく、その外に広がる世界を見せてあげなくてはなりません。
みなさん、GO BIG!! 派手にいきましょう!

ギフティッド教育:ギフティッドの子供たちを育てている保護者のみなさまへ

ギフティッドの子供たちを育てている保護者のみなさまへ

今年度はGO BOLD – 大胆に!!!
大きな背中を見せていきましょいう。逞しい背中を見せていきましょう。多くの子供たちはスクリーンを見て育ち、親の背中を見ていないのではないでしょうか。また、ギフティッドの子供たちに見せたい背中というのは、どういった姿でしょうか。是非、考えてみてください。

その背中に書かれていること。「Awakening Excellence – 素晴らしさの覚醒」どういった事なのでしょうか。是非、考えてみてください。

アメリカ人の多くの保護者が自分のギフティッドの子供に望んでいること、

それは、”To reach his/her full potential – 秘めているものを最大限に引き出してもらいたい”です。

– 誰が引き出すのでしょうか?

– 秘めているものはどうやって知るのでしょうか?

– 何が最大限なのでしょうか?

– どうやって引き出すのでしょうか?

– そして、なぜ?

ぜひ、考えてみてください。

そして、これを子供に望むのではなく、私たち自身に望んでいますか?

一般的に議論されている「これからの教育」、または、「これからの子育て」というのは、ギフティッドの子育てにどれくらい当てはまるでしょうか。
だから、これから?私たちが考え、実践しなくてはならないこと。

「これからギフティッドの子供たちにどうやって育てられるか」です。
「これからのギフティッドの子育て」ではなくて?
違います。

「これからギフティッドの子供たちにどうやって育てられるか」です。

ギフティッドの子供たちの才能やタレントにばかり焦点が当たりますが、この教育ラベルの下に隠れている本人はどうでしょうか。その子、本人の魅力です。ギフティッドの子供たちは、その才能やタレントとは別に、とても魅力満載の子供たちです。その魅力が凝縮されているギフティッドの子供たちを育てている保護者のみなさんは、より魅力的な親になります!

今年度は GO BOLD – 大胆に!!!
しかし、大胆に行きたい時、邪魔をしてしまう壁があります。それは、自分の思考、過去の経験、言葉、ラベルで自分を縛ってしまいがちです。子供たちはしっかり見ています!

チャレンジを目の前にしての言い訳集

1.「私はそういったタイプの人間ではないので」


子供が同じように「私はそういったタイプじゃないから」と色々なことにチャレンジしなかったら、意外な自分には出会わないですよね。

2.「昔はそういったことよくやっていたんです」
ギフティッドの子供たちは、今目の前にあるものを見ます。
3.「やってみなくてもわかる」

果たして「わかる」ことが目的なのでしょうか?色々な物事が頭の中で始まり、また完結する多くのギフティッドにとって、「何もせずにわかる」というのは、経験不足の頭でっかちになるだけです。
4.「他でチャレンジしているから、これは特にやらなくても」

子供は、親が人生を楽しんでいる姿、必死になっている姿が見たいんです。彼らにとってそれはフェアなことなんです。
5.「本当に大切なことだと思います。私には必要ありませんが、子供に是非!」

特にソーシャルエモーショナルスキルです。これは、大人になったから、備わっているわけではありませんので、大人の私たちも常に磨いていきたいですね。
ギフティッドの子供たちは声を揃えていうでしょう。「大人はチャレンジしなくてもいいの?」「それは不公平じゃないの?」「大人は快適ゾーンの外に出なくてもいいの?」「大人はずるいね」

子供たちはしっかり見ています。
Go  Bold 大胆に背中を見せている保護者は
新しい旅の楽しみ方を知った保護者、自分との関わりあう機会や時間を作っている保護者、新しい状況で子供との関わり合い方を持つ保護者、新しいマインドセットで言葉を使う保護者、人生の目指すところ明確になった保護者、教育理念がより確固たるもになった保護者、家族で過ごす時間を増やしている保護者、ボイスが強くなった保護者、フレキシブルで、リラックスできるようになった保護者。とっても魅力満載ですよね。子供たちはしっかり見ています!

子育てを豊かにする教育のお話:「大切なこと」を教えるのではなく、「私たちが大切にしていること」を教える。

ギフティッド教育では、Moment(瞬間)やOpportunity(機会)をとても大切にしています。そして、瞬間や機会というのは、とてもスポンテニアスですので、私たちが色々なことに意識を向けていないと、その瞬間や機会は、私たちの目の前を通り過ぎていくことでしょう。そして、その瞬間や機会は一期一会です。

しかし、それらは、何の瞬間なのでしょうか。何の機会なのでしょうか。それは、大人と子供が、それぞれの価値観を共有し合ったり、教える瞬間であったり、学びの機会です。
「大切なこと」を教えるのではなく、「私たちが大切にしていること」を教える。

まずは、「私たち」だから、「一般的な」話しはしていないということ。そして、「している」という現在進行にあるということ。これまでも、そして、これからも。

例えば、「チャレンジは大切」と言うのと、「私たちが大切にしていることは、チャレンジすること」というのは子供にとって大きく意味が違います。

本当に大切なことは言葉では伝えきれません。背中を見せて伝えなくてはなりません。

例えば、大人が「正直に話すことは大切」と言うのと、
「私たちが大切にしていることは、正直に話すこと」と言うのでは子供にとって大きく印象が違います。

「大切にしている」それはアクションであり、そして、それをみんなが実践していかなければなりません。子供も大人も。

「一般的に」考えてではなく、主語がはっきりしているということ。自分が存在するコミュニティーの中で、自分は何を大切にして、何を実践したいか。大人も子供も。

Teachable moment – 教えの瞬間
例えば、授業の途中、遠足の途中、修学旅行の途中などなど、何もかもストップして、教えたいことや伝えたいこと。想定外のハプニングも「教える機会」にすることができます。

これは、先生から生徒だけではなく、誰にとっても「教える機会」ですので、生徒が、「みんな、ちょっと待って!はい、ここで教える機会!」と何かを教える機会を持つのも良いです。こういった時、生徒たちは、自分の興味のあることを伝えることもできるんです。

先生によっては、「教える機会」というものは、なかなかクラスの中では説明しきれないものや、見られないものを教える機会かもしれません。また、他の先生によっては、見たことや、経験した事によって生じた気持ちがあり、その先生が生徒たちに知ってもらいたい大切な価値かもしれません。

Learning Opportunity – 学ぶ機会
私たち大人から見ると、子供たちは効率が悪いかもしれません。最適な方法で物事を進めていないかもしれません。また、段取りが悪いかもしれません。当たり前ですよね。成長過程中なわけですから。

だからといって、私たちが知っている最適な方法や、段取りを、教えることが必ずしも良いわけではありません。

そればっかりだと、子どもが何か壁にあたった時、問題解決方法は、まず自分で考えることではなく、「お父さんに聞く」となるかもしれません。

私たちが手や口を出さないとどうなるか。奇抜なアイデアを持っているギフティッドの多くは、私たちが最適、または効率が良いと思っている以上のやり方を発見し、私たちに教えてくれることでしょう。

大切なのは、子供たちが試行錯誤し、練習を重ねた上で習得していくことです。子供たちが学ばなくてはならないのは、自分たちの経験から学ぶことの大切さです。
AHA モーメント自分たちで取り組んでいると、たくさんのAHAモーメントがあるでしょう。「そうなんだ!」「そうだったんだ!」と「なるほど」と気がつく瞬間です。

私たちは口を出さす、手を出さず、見守ります。子供たちは私たちが思うやり方ではなく、自分たちが考えるやり方で、やってみること。

ギフティッド教育:ギフティッドチルドレン

ギフティッドの子供で一人で遊んでいる場合、それには、色々な理由がありますよね。同年代の子供たちだと、何か物足りなかったり。

また、似たような趣味でも誰もそのレベルで興味を持っている子が周りにいなかったり。

また、「頭の中で描いていること」その世界観は本人でさえも言葉や形にすることができないかもしれません。そして、人に何度も説明することが嫌いな子も多いです。

また、どれくらいの「思い」でやりたいかというのも共有しづらいかもしれません。

結果、「自分が好きにできる」「自分のペースでできる」「説明をしなくても済む」状況になってしまっているのかもしれません。


でも、みんなと遊びたくないわけではない。逆に、みんなと遊びたいし、友達だって欲しい。理解してくれる人が欲しい。親友が欲しい。


親が「一人で遊ぶタイプなんです」というのは、既にタイプ分けをしてしまっている。「今のところは、一人で遊ぶことが好きみたいです」の方が良いでしょう。

もしかしたら、「お互いにインスパイアしながら」の良さをまだ知らないのかもしれません。グループでのワークになると、「ウチの子はできるかな?」と、既に親が諦めているかもしれません。結果、子供たちは成長の機会を失っているかもしれません。

その場合、子供は意外な自分の一面をみることはないでしょう。
ギフティッドの子供たちの中には、こういった特徴が
「諸刃の剣」となり、衝突の原因になる場合もある。

– 周りや自分への期待が大きい。- 批判的- 独創的- 完璧主義

しかし、グループワークの中での衝突はよくあることです。衝突は成長の機会です。ある意味、ぶつかり稽古が必要不可欠です。


みんなで遊んだり、授業のグループワークやプロジェクトの時、大喧嘩している事多々あります。休み時間とか、言い合いで終わってしまう子たちもいます。

例えば、鬼ごっご。とっても簡単な鬼ごっご。そこにルールを足して、より複雑にし喧嘩になる。クラスでのペアでのプロジェクト、一人は締め切り間近で何でも仕上げる生徒。一人は何でも余裕を持ってタイムライン通りにする生徒。プロジェクトが進行していくに連れてケンカになっていました。

「僕がリーダーになりたい!」

リーダーになりたい理由はリーダーシップを発揮して、導きたいのではなく、大抵の場合は自分の意見を通したいから(笑)

「みんな僕の話を聞いてくれない!」と怒っている子がいます。

みんな聞いているんです。

ただ、彼の思い通りになっていないんだけなんです。必ず必要になるのが「折り合いをつける」ということ。

この「折り合いをつける」は決して「諦めて受け入れる」ということではありません。

「 Agreement with = 折り合いをつける」お互いに生じている気持ち、生じている自分の気持ちに耳を傾け、それを acknowledge – 受け入れること。

1.「生じているお互いの気持ち」との折り合い
だから、お互いの気持ちを知らなければならない。自分の気持ちを伝えなければならない。すなわち、「折り合いをつける」というのは、相互の「生じている気持ち」を伝え合うこと。

そして、相手も自分もその「生じている気持ち」に圧倒されているのであれば、タイムアウトをとらなくてはならない。自分はイライラしている。自分は怒っているなど。「生じている気持ち」を受け入れる。

How are we feeling?  – 今、私たちはどんな気もちになっている?
生徒によっては、何も言えないかもしれません。

また、理由は言わず、生じている感情だけかもしれません。生徒A  “………………”生徒B  “ I am frustrated 私はイライラしてる”生徒C  “ I am frustrated because you don’t listen – 僕はイライラしてる。

その理由は君が聞かないから”この時、大切なのは、強調するのは、自分がどう感じているか。原因ではない。

2 .「生じている自分の気持ち」との折り合い
生じている気持ちに圧倒されているのであれば、その気持ちと向き合わなくてはなりません。気持ちを伝えたあと、次のステップにいける生徒もいれば、タイムアウトをとって、その気持ちと向き合わなくてはならない子もいます。

ここで大切なのは、子供それぞれの状態があるので、それぞれの対応をしなくてはならないということ。「Come back when you are ready – 準備ができたら、戻ってきて」と言える生徒もいれば、”Hey, deal with it –  対処しろ”と冗談交じりに短くアドバイスすることもできます。

また、具体的なステップが必要な子もいます。

3.「Are you part of the solution or part of the problem?君は問題解決の一部なのか。問題の一部なのか。」
まず、そこから一歩前進したいか思いを確認する。

「どうやってやりたい?」

この時、大抵の場合は、ステップの確認、工程の確認、また、ケンカをしないように、やる内容を公平になど話し合うことでしょう。例えば、自分が思う正しいやり方をお互いに説明しようとするかもしれません。

例:テントの設置など「僕はポールをこっちに入れた方が良いと思う」「前にやった時は、ペグを先に打ったと思う」自分の考えを述べる。

明確にいうと、ここが感情知性を育んでいる子と育んでいない子に大きな差がでます。感情知性を育んでいる子は、これまでの気持ち、そして、これからの気持ちを大切にするからです。

話し合うべきことは”How do you want to feel while you are doing it? やりながらどんな気もちになりたい?”

「応援し合っているなと感じながら、やりたい」「お互いに耳を傾けているなと感じながら、やりたい」「楽しいと感じながらやりたい」


4. 最後にCommitment – コミットメントお互いにお願いすること、自分ができることを話し合う。お互いにコミットする。

具体的にはどんな言葉が必要なんだろう。具体的にはどんな返事が必要なんだろう。どんなコミュニケーションの取り方がいいんだろう。そのためには、e-statement (応援する言葉)を使う!


大切なのは、これがプロセスであるということと、皆が共通して取り組むプロセスだということをお互いに理解していること。

そして、どの時点でもタイムアウトを取ることができる。タイムアウトの取り方はそれぞれ。そして、タイムアウトが自ら取れない子もいる。「解決の一部となる」コミットメントができたら、戻ってくる。


この時、先生、大人はどんな役割で、どんなことができるか。まず、「橋渡し役」であるということと「Put it in perspective 状況を大局的に見せてあげる」ことができる。


こういった機会というのは子供たち自身が大人がいなくてもでできるように教えていく。ソーシャルエモーショナルスキルだ。
こういった説明をすると、こういった声を聞く。

「そんな時間ないんです。」

「そういったことができる先生がいないんです。」

「それって大変ですよね。」


そういう時は、私はこの質問をします。

Are you part of the solution or part of the problem?君は問題解決の一部なのか。問題の一部なのか。」

ギフティッド教育:「Meeting the Social and Emotional Needs of Gifted and Talented Children ギフティッドチルドレンのソーシャル・エモーショナルニーズを満たす」

ギフティッド教育:「Meeting the Social and Emotional Needs of Gifted and Talented Children ギフティッドチルドレンのソーシャル・エモーショナルニーズを満たす」

一度聞いてもよくわからないかもしれません。しかし、これがギフティッド教育の根幹となる感情知性を育む必要性を説明した言葉です。

2014年に第1回ギフティッド教育カンファレンスを開いた時、私はギフティッドの生徒たちについて、そして、ギフティッド教育について本当に知ってもらいたいこと、一番大切なことを伝えてたくて、迷わず、Emotional Intelligence 感情知性と Social-Emotional Skillsをテーマに選びました。

要するに、自分が存在するコミュニティーの文化の下、先輩後輩の関係、一緒に活動している仲間たち、安心できるクラスメートたち、耳が痛いことも言ってくれるメンターなど、みんながそれぞれのベストの望む関係の中で、ギフティッドの子供たち自身が普段の気持ちを共有し、問題があれば解決に取り組み、自分のため、周りのため、自分が存在する家、コミュニティー、世界のために、アドボケイターとなり続けるプロセスのことを指します。

このソーシャルエモーショナルスキルを育むにはカリキュラムの中に組み込まれていなくてはなりません。または、その学校やコミュニティーの文化になっていなくてはなりません。それは、蜘蛛の巣を何枚も重ねたようなサポートシステムでなくてはなりません。

ギフティッドを教える先生たちは、よく、ギフティッドの子供たちを色々な言い方で説明しますが、クラスルームの中で、感じることは、“They get it  –  彼らはわかる“ ということ。抽象的な物事の意図を読み取り、ニュアンスを読み取り、皮肉、ユーモアなど、彼らの多角的な視点で、感受性をもって、表も裏も理解する感じです。
“They get it  –  彼らはわかる”

しかし、彼らも「わからない」「知らない」ということがあります。それは、とっても複雑な彼ら自身のことです。そして、成長とともに大切にしていきたい自分の価値観です。そして、自分自身の価値です。

ギフティッドの子供たちが全ての答えを持ち合わせていない時、これは、ギフティッドたちにとっては恐怖となりえます。

よく、ギフティッドの子供たちは自尊心をみながら、育つことは大変難しいと言われています。それはなぜでしょうか?よく面談をして、保護者に言われることがあります。「うちの子は自尊心がなくて、自信もない、どうやったら育ちますか」と。なぜ、自尊心や自信がないのでしょうか。

まず、私たちがギフティッドの子供たちについて理解しなくてはならないことが幾つかあります。

1. 凄いと言われても自尊心や自信は育むことはできない。周りから見ると、「小さいのに、こんな事ができて凄いね」と、高度なこと、年齢以上のことができたとしても、本人たちからすると、それはそんなに凄いことではないんです。そして、その「凄い」という言葉に多くのギフティッドの子供たちは苦しめられます。全てにおいて凄いと言われなくてはならないのかと。将来は凄い人になって、凄い偉業を達成しなくてはならないのかと。

2. できることをしていても自尊心や自信を育むことができない。「同じ馬の絵を描く子」と説明することがあります。できることだけをしている子。「 Fixed mind – 才能は生まれ持ったものだから、今、現時点で、できないのであれば、これからもできることはない」という思考。だから、もしかしたら、育っているのは、「Unjustified self-esteem 現実が伴っていない自尊心」かもしれません。

3. 自尊心や自信を持つ前に子供たちが育まなければならいことがあります。多くのギフティッドは自分に過度に高い期待を持っています。また、周りからすると、大したことではないと感じるかもしれませんが、失敗した時、自分が何もできなかった時、「許せない」と自分のことを思うかもしれません。そのギフティッドの子供はその自分を尊敬できるのでしょうか。愛することができるのでしょうか。

大切なことは、自尊心や自信の前に、自分を知ること。「そもそも、自尊心や自信を持つ、この自分という人はいったい誰なんだ?」ということ。そして、「自分はこういう人で、こんな素晴らしいところがあって、そして、まだまだ課題のところもあって、それでも私ってイイネ」と自分を受け入れるという心です。自分は成長過程中なんですと、声を大にして言えることです。

以前こんなことがありました。いじめに遭った子が転校してきました。「僕はいじめられていたんだ。そして、その子の靴を学校の外に投げたんだ。それが、とっても暴力的に思えて僕は自分を許せなかったんだ」その思いを受け止めてくれる仲間たちがいました。その気持ちだけではなく、持ち続けていた彼の気持ちを理解する仲間たちがいました。そして、涙ながらに「今の自分になるのを助けてくれてありがとう」と仲間たちに話していました。それが全てでした。自分の事を知り、そして、受け入れた瞬間でした。その後、彼は、勉強面、社交面、感情面で、大きく成長していきました。そして、確固たる自尊心や揺るぎない自信を得ていきました。

「When gifted is not figuring it all out. ギフティッドの子どもたちが全てを悟っていない時?」

自分の好きなとこは?最近成長したところは?自分の人生のミッションは?自分の課題は?自分の快適ゾーンの広さは?自分のことに関してはよく知らない子が多いです。
「自尊心と自信は、自分を探求した後に、そして自分にハイタッチした後にやってくる」

ギフティッドの子供たちは、正義感の強い子が多いです。そして、とてもセンシティブな子が多いですよね。みんなが気がつかないところに気づいてしまう観察力と、見えないものまで見えてしまう洞察力がある。物事、人の非常に細かいところまで気がついています。

世界で起きている事件、災難、悲しい事故を聞いたり、目にしたりすると、ギフティッドの多くは、激怒し、激しく心が傷つき、悲しみ、ショックを受けるでしょう。それは、私たちが想像している以上の衝撃です。また、普段、学校で、不誠実、理不尽、いじめ、それを目の当たりにした時、激怒し、激しく心が傷つき、悲しみ、ショックを受けるでしょう。

そして、色々な感情が湧き上がってくるでしょう。心の中で拳を振り上げるでしょう。その振り上げた拳はどうして良いのかわからない場合もあるでしょう。自分のことのように親身となって立ち向かうでしょう。それは、何日にも渡って胸につかえているものだろし、なぜ、自分はその状況をなんとかよくできないか悩み続けるかもしれません。

何よりも「気持ち」を大切にしているギフティッドはいじめを見たら、許すことができないでしょう。激怒するでしょう。

しかし、普段から「誰からも理解されていない」と感じていれば、その気持ちに対して、行動を起こさないかもしれません。諦めるかもしれない。「言ったところで変わることは何もない」と。「いじめている子に言ったところで、やめないかもしれない」と。

「私は何もできない」と helpless-無力と感じる子も多いです。そして、自分に期待が高いほど、そのhelpless-無力と強く感じるでしょう。

ギフティッドの子は言う子かもしれません。「生徒主導のいじめ撲滅週間を作る、いじめ撲滅運動を学校で取り組みたい」と。しかし、大切なのは、行動の大きさではなく、一緒に考える「Act small – 小さな行動」です。

「今から、明日から何ができるだろう?」一緒に考えてあげてください。「僕はこれを大切にしたい」と自作のポスターをクラスに貼ってもいいと思います。担任に手紙を書くこともできます。いじめている子と話すことでもいいです。いじめに遭っている子と話すことでもいいです。

この時、大切なことは、「変える」ということがゴールではないということ。自分の気持ちを伝えること。自分の立場を明確にすること。これがとても大切です。生徒生活指導もしていたので、こういった生徒とのやりとりは沢山ありました。

「言うことが大切。伝えることが大切。自分が本当に大切だと思う価値が強くなる機会。その価値は絶対に失くしたくないものですよ。」

私たちが理解しなくてならないこと。それは、「正義感が強い」ことと、「自分の立場を主張する」ことと、「勇敢に行動する」ことは同じではないこと。
ギフティッドの生徒は、自分の「ボイス」を持てるように育んでいかなければなりません。
ボイスとは自分の価値観や信条に反映されて出てきた「あなただけ」のもの。経験を通して得た「あなただけ」の意見です。私のボイスが強くなるとき、それは、Authentic(本物)な経験をしている時です。それを自分なりに向き合って、「自分のもの」となった時、ボイスが強くなります。

周りは、”Loud and proud  – 声を大きく誇りを持って”や “your voice matters – あなたの意見は貴重だ” のようなフレーズをかけ、応援することができます。

「ボイスは育んでいくもので、また、君のボイスは大切なんだよ」と教えてあげます。
だから、ギフティッドの子供たちが背負っている悩み、思い、考え、目を見て、お互いに腹を割って話す仲間たちはいるだろうか。

一緒に頭を抱えて考えてくれる人はいるだろうか。

行動にどうやったら移せるか、手とり足とりコーチしてくれる人はいるだろうか。
そして、「気持ちに忠実であれ」と背中を押してくれる人はいるだろうか。
全ては face to face. 自分と相手の息遣いがわかる距離、心臓がバクバク言っているのがお互いに聞こえる距離で話し合うこと。

そういったプロセスの中で、ギフティッドの子が持つボイスは強くなり、勇敢に行動できるようなった時、

彼らは、Helpless(無力感) からHopeful(希望に満ちて)に変わっていくことでしょう。